今回は知識と情報の違いについて解説します。
ここを知らないと、今後は多くの人が間違った努力をしてしまいます。知識といえばほとんどの人は意味がわかると思いますが、情報というと、ぼんやりとしか理解していないのではないでしょうか。一般的にいうと、知識とは人から聞いた話、本、ネットなどに文字で書かれている内容のことです。いわゆる文字や言葉から取得できるものですね。情報とは画像や音楽、動画などパソコンに保存された電子データなどを思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし、情報とは本来もっと広い意味を持っています。
知識は情報の一部分
たとえば、知識以外にも人の持つ様々な経験、思考、感情、行動の記憶があります。もっと具体的に説明するなら、文字や言葉、音楽、映像、写真、それ以外にも、見たり聞いたり手で触ったりといった五感を使ったときの感覚、喜んだり悲しんだりといった感情、運動をしたときの筋肉や神経、骨や靱帯がどう動いたかの記憶、どのような状況でどのように考え、どんな判断をくだしたかの記憶、友人や身内など、その他あらゆる人と接したとき感じたことなど。
つまり、あらゆるものが情報となるのです。
私がなぜこんなことをいうのかといえば、これからの時代は知識だけでなく、上にあげたようなより広い範囲の情報を集めていかないと生き残っていけないからです。
変化の激しい時代には、その変化に対応するため、より多くの情報が必要になります。
多くの手段を持っているということは、変化への対応力があることを意味します
データ量の違いを意識する
その他にも、私が知識より情報にこだわる理由があります。それはデータ量の違いです。
考えてみてください。広辞苑のような分厚い辞書には膨大な量の文字情報が入っています。すべて読みきるには、それこそ何ヶ月もかかるでしょう。ところが、膨大な量の文字といえどもテキストデータに変換すると、その容量はせいぜい900MBくらいなのです。900MBといえば、いまどき10分間の動画容量にもおよびません。
人間の記憶というのも、実はこれと同じなのです。
たとえば、あなたがなにかスポーツをするとしましょう。そのスポーツの内容をどれだけ詳細に書かれた本があったとしても、その本を読むより実際にやってみたほうが感覚がつかめるはずです。これは本を読むより、実際にやってみたことで得られる情報量のほうが圧倒的に多いからなのです。
どれだけ言葉や文字でうまく説明できたとしても、力を入れたときの感覚や心の変化までは伝えきることはできません。
なぜなら、人間には個体差というものがあるからです。
力の強い人と弱い人では、同じ動作でも力の加減が違ってきます。気の強い人と弱い人では、状況にたいする心の変化に違いがあります。ですから、実際にやってみないと本当のことはわからないのです。これが知識というものの限界なのです。だからこそ、私たちは言葉や文字といった言語情報を取り入れたあと、実際に体験してみて、五感や感情といった追加の情報を得る必要があるのです。
知識偏重では情報量が不足する
私はこれまで高学歴と言われる人たちとも付き合ってきましたが、彼らの多くは情報が知識面に偏りすぎているように感じました。最初のうちは「この人凄いな」と思うのですが、しばらくすると情報量の少なさに気づいてしまうのです。教科書的な知識量は凄いのですが、実体験が不足しているため、書かれている内容以上のことは伝えることができないのです。
仕事面でも知識は凄くあるのに、ほとんど結果がだせない人もいました。彼の場合、知識はあっても実体験がともなっていないため、知識の使い方がわからないといった感じでした。
知識だけでは、これからの変化の激しい時代を渡っていくことはできません。
知識はもちろん必要なものではありますが、それはあくまで追加の情報を得るための手段でしかないのです。そこを勘違いしてしまうと、手段である知識を得ることだけが目的となってしまいます。最終的に人の人生を変えるのは知識ではないのです。
知識をどう使いどんな情報を得たのか? それがあなたの人生を変えるのです。
だからこそ、知識よりもっと広い情報というものに目を向むける必要があるのです。