2019年、経団連の会長やト○タの社長が相次いで、「終身雇用はもう守れない」といった意味の発言をして世間を騒がせました。
同年、富○通をはじめとする大手企業は軒並み大規模なリストラを発表。45歳以上のいわゆる中高年社員を切りはじめます。彼らのようなベテラン社員は、特定業務に特化し、会社に貢献しているはずなのに、もう必要ないと会社から宣告されたのです。
なぜでしょうか?
企業が中高年を切り捨てる理由
まず考えられることは、彼らの持つ様々な経験や知識といったものがすでに会社のデーターベースやマニュアルとして残っていることが挙げられます。
そのため、彼ら個人の経験や知識に頼る必要がなくなってしまったのです。近年は、仕事のやり方も頻繁にアップデートされますから、彼らの経験や知識が、すぐに陳腐化して使えなくなったという理由もあるでしょう。
また、終身雇用・年功序列の制度のもとで同じ会社に長年勤めた人は、大きな変化に対応した経験がなく、今の社会の変化についていけません。かといって会社を変革しようにも、彼らのような年長社員はほとんどの場合、社内最大の抵抗勢力となります。
とくにIT系の業界は変化が激しいので、富○通のような会社は、彼らのような抵抗勢力が社内に大勢いると今後は命取りになるのです。
「そのような人たちに高い給与を払う余裕はない」恐らく、企業側はこうも考えているはずです。
これまでは会社や上司のいいなりになる人材を求め、また育ててておきながら、いざ不要となったら切り捨てる。残酷かもしれませんが、現代の会社組織というのはそういうものです。
社員と一緒に共倒れするか、会社を維持して社員を切るか、この2択を迫られれば、会社を残すという選択肢を取るのが普通なのです。
そもそもが自分の人生をすべて会社に丸投げし、一生会社に面倒をみてもらおうという考え方が間違っています。
社外に目を向けず、世の中の動きにも関心を持たず、ただ会社に依存して定年まで無難に過ごせればいい。何年も同じ会社で同じ仕事をし、ほとんど固定された人間関係の中で、毎日同じことを繰り返す。
そのような生き方をする人は、今後は人としての価値さえ失ってしまうでしょう。
何年も同じ生活を繰り返すことのリスク
毎日同じような生活ばかりしていると、その人が持っている情報の範囲は狭くなります。経験という情報に多様性がないのです。
持っている情報に多様性がないということは、できることが少ない。できることが少なければ、変化への対応力もないということです。
長年その会社に勤めているからといって、必ずしも高い能力があるとは限らない。
私もかれこれ20年以上サラリーマンをしていますが、これについては切実に感じています。
こういってはなんですが、今の日本の中高年サラリーマンは、人生経験があまりに薄い人が多いと言わざるをえません。
自ら困難に立ち向かい責任をとった経験もなければ、リスクをとってなにかに挑戦したこともない。会話も同じような話題しかなく、考え方や行動パターンも似たり寄ったり。変化に弱く、古いやり方をいつまでも固持しようとする。
ひどい人になると、責任だけ部下に押しつけ自己保身に走る。もちろん、そうした中高年の中にも、たまには凄い人がいます。そういう人は、やはり多方面に興味を持ち、会社の外にも目を向け、いろんなタイプの人と付き合いがあります。
ただそういう人は、サラリーマンでは100人に一人もいません。
間違いだらけの安定志向
日本の若者は安定指向型が多いといわれています。大手企業を希望し、同じ会社でずっと勤め続けたい若者が多いというのです。
実は私も20代のころ、安定というものを会社組織に求めていた一人です。ですが、社会にでてそれが大きな間違いだったことに気づきました。
昨今、大手企業がこぞって大規模のリストラに着手している様子をみても、一つの会社に依存することがどれだけ危険かは火を見るより明らかです。
安定というものは、会社組織や他者に求めるものではなく、自分自身の能力で勝ち取るものです。
自分の能力を高めることで、会社が倒産してもリストラされても、次の仕事がすぐに見つけられる。どんな状況でも最低限の生活を維持することができ、ひとたびチャンスがあればまた浮き上がることができる。
これからは、そのような能力を身につけていかなければならないのです。