自虐史観教育に染まらなかった私

近年、日本の学校教育には問題があるという声が強くなっています。

なかでも公立学校の教育については、今でも自虐史観教育が根強く残っており、教科書の内容にも誤りが多いと指摘されています。従軍慰安婦や南京事件がいい例でしょう。

これらはすでに、世界中で証拠にもとづいた嘘の証明がされているにもかかわらず、日本ではいまだに、それが事実だと年端もいかない小学生に教えているのです。

私がうけた自虐史観教育

かくいう私も小学校のころ、酷い自虐史観教育を受けた一人です。

あれは、私が小学6年生のときのことです。そのときの私の担任の先生は、かなり思い込みの強い激情型の先生でした。今でもよくおぼえていますが、社会科の授業がとくに酷かったです。

彼は南京事件や戦争の話をするときにスイッチが入ります。突然激高し、大声で怒鳴りつけるような口調になるのです。

戦争は人をキチ○イにする!!!
日本は戦争でたくさんの人を殺した!
第二次世界大戦で日本はたくさんの国に迷惑をかけた!
戦争は絶対やったらイカンのだーーーっ!!!

そう叫んでは、戦争で日本人がいかに残虐に人を殺したか、いかに酷いことをしたかをとうとうと語るのです。授業は最初から終わりまで、ほぼ怒鳴りっぱなし。

小学生の私からみても、当時の先生の様子は尋常ではありませんでした。真面目な生徒はその先生の話を真に受け、中にはショックで泣き出す子もいました。

しかし私はその先生の話を信じませんでした。

私の家は父方も母方も一応は武士の家系です。そのため、幼い私は「武士や侍とはこういうものだ」といった話を頻繁に祖父から聞かされて育ちました。

もちろん戦争の話も聞いていました。

私の曾祖父が先の大戦で戦死したこと。ビルマで深手をおい、自分はもう助からないと悟った曾祖父は、大量の爆薬を背負い、戦車を道連れに突撃して死んでいったそうです。

戦国時代の昔より、戦で武士たちは女・子供・老人は襲わなかったこと。もちろん中には不届き者もいたでしょうが、もし襲ったりすれば、その場で切り捨てられるか、切腹しなければならなかったことなど。

そういった内容の話を、私は何度も祖父から聞かされていたのです。

そのため、私は担任の先生の話をにわかに信じることができませんでした。小学生の私がなによりおかしいと思ったのが、その先生は日本だけが一方的に悪いという言いかたをしていたことです。

日本は大空襲で大勢の人が殺され、原爆まで落とされたのに、当の攻撃したアメリカを責めることはなく、ただ日本だけが悪いと。

「この先生の言うことは絶対におかしい」

小学生の私はいつもそう感じていました。日本には喧嘩両成敗という言葉もあります。

当時、私の家庭は荒れていましたから、そのころの私はしばしば同級生と喧嘩をしていました。それが他の先生に見つかると、ほとんどの場合は両方の生徒が怒られるのです。

やり返したほうも悪いと。とはいえ、過失の割合が高い私はよぶんに怒られはしましたが。

私自身は喧嘩をして先生に怒られることで、喧嘩をすればお互いに過失が発生することを身をもって知っていたのです。

にもかかわらず、戦争については100%日本が悪い? 「そんなわけがない」そのときの私はそう考えていました。

そんな感じでしたから、私はその担任の先生から目をつけられていました。「こいつは俺のいうことを信じていない」先生は私や一部の生徒にたいしてそう思っていたようです。

同じクラスには私を含め、3人くらい疑り深い生徒がいました。私たちはことあるごとに目の敵にされ、注意や体罰を受けました。喧嘩をしたときも私だけが一方的に怒られ、べつの生徒が嘘をついて私がやったといえば、それを信じてまた怒られる。

そのおかげで、私はますます「こんな先生のいうことが本当なわけがない」と自分の思いを強くしたのです。また、その先生は私たちのクラスだけでなく、他のクラスでも同じように大声で怒鳴りながら、戦争についての授業をしていました。

自虐史観教育は出世の早道!?

私が成人したあと、同級生の一人が小学校の教員になりました。彼の話では、どうやら自虐史観教育の研修があるということでした。

恐らく、その先生は研修で好成績を収めていたのでしょう。だから模範指導員として、他のクラスも担当していたのだと思います。

自虐史観教育をやれば、評価が高くなり出世もしやすかったのかもしれません。

その後、小学校教員になった同級生から再び聞きました。その先生が市内のとある小学校の校長になったという話を。その話を聞いたとき、私はその学校の生徒が気の毒になりました。集会のとき、体育館でその先生が戦争の話をする場面を想像したからです。

考えようによっては、結局その先生も、ただ評価や地位が欲しかっただけなのかもしれません。評価や出世を求めて、自虐史観教育をしていくうち、自分の中の思い込みが強化され、本人の中で嘘も真実になっていく。

こういうことは人間にはよくあることです。

普通の会社でも、詐欺まがいのことをして成績をあげ、上司から評価されると「自分は正しいことをしている」と思いこむ。

それがひとたび事件にでもなると、「悪いことだとは思わなかった」「会社から言われてやっただけ」という、にわかに信じがたい言い訳が口からでてくる。

そんな報道をあなたも見たことがあるでしょう。

目先の欲に捕らわれ、正常な判断どころか善悪の判断すらできなくなる。これが組織における評価というものの怖いところです。

もし、自虐史観教育と評価にまったく関係がなければ、「これは本当に真実なのか?」と調べる先生もでてきたでしょう。しかし、ここに評価を加えることで、対象者に疑問を抱かせる余地をなくすのです。

組織内で良い評価をうけるということは、その組織においてはそれが善、すなわち正しい行動となるからです。このような評価の使い方は、非常に巧妙で悪質なのですが、古典的常套手段でもあります。そう考えると、私の担任だった先生もただ洗脳されていただけなのかもしれません。

とはいえ、年端もいかない子供にデタラメな知識を強要するのはどうかと思いますが。
人間ああはなりたくないものです。