数年前からAIについてのニュースや記事をよく目にするようになりました。先進各国も競ってAIの開発を後押しし、各国のAIの開発競争はますますヒートアップしています。
米国の人工知能研究の世界的権威である、レイ・カーツワイル博士はこう言っています。
「2029年にAIが人間並みの知能を備え、2045年に技術的特異点が来る」
技術的特異点はシンギュラリティと呼ばれ、日本でもずいぶんと話題になりました。世の中の論調をみてみると、それこそシンギュラリティが2045年に必ず起こるといわんばかりです。
たしかに、近年の技術の発展は目を見張るものがありますから、25年後にシンギュラリティが起こる可能性がないとはいえません。しかし、電気・機械系のエンジニアである私は、この論調に少々、懐疑的な立場をとっています。
AIの議論にはハードの話が抜け落ちている
私の意見を話す前に、まず私のバックグラウンドを簡単に紹介しておきます。
特殊産業用機械と呼ばれるジャンルの設備をあつかう
この分野の経験年数14年
一応、先端技術と呼ばれている業界
まあ、特殊な機械設備をあつかうアナログ系エンジニアとでもいっておきましょうか。
ちなみに、私はAIやプログラムの分野で開発職の経験はありません。ですので、私の意見はその分野でいえば素人考えになるかもしれません。あくまで私個人の意見です。その点だけご了承ください。
私が2045年にシンギュラリティはまだ起こらないと考える理由は次の2つです。
1.AIの性能を十分に活かせるハードの開発が追いつかない
2.AIに搭載するためのデータ量が少なすぎる
順番に説明していきましょう。
1.AIの性能を十分に活かせるハードの開発が追いつかない
AIの話が盛り上がるとき、いつも私が思うのが、「AIを活かすハードの話が抜けているのではないか?」ということです。私はエンジニアとして毎日のように機械設備を見ていますが、どんな精密機械をみても、人間と同等の機能を備えるレベルには当分は到達できないだろうと感じています。
2045年にシンギュラリティが起こる根拠となっているのが、収束加速の法則といわれる法則です。この法則では、「技術進歩は直線的ではなく、指数乗数的に向上する」ということらしいのです。仮に計算上そうなったとしても、肝心のAIを受け入れるハードの開発はそうはいきません。ハードの開発というのは多くの人間が関与し、複雑な意思決定をへて試行錯誤するプロセスを繰り返します。人間が関与している以上、どうしても進歩の速度には物理的限界ができるのです。現時点では、まだ人間の思考や行動が指数乗数的に向上することはありえないからです。
人間ですから睡眠や食事といった休息も必要ですし、開発のための様々な情報収集も必要です。たとえば、自動車の開発には通常4~5年が必要だといわれています。しかも、それは基本的な設計や素材、生産方法についてそれまで長年の蓄積があってのことです。ですから、ハードをなにもない状態から開発すると考えると、実際の開発には10年、20年かかると考えるのが妥当なのです。ましてや人間を超えるAIという前人未踏の開発をするわけですから、それにかかる歳月は10年どころではないと考えるのが普通でしょう。そう考えるとハード面の問題から、2029年にAIが人間なみの知能を持てるとは考えにくいのです。
2.AIに搭載するためのデータ量が少なすぎる
そもそも、なにをもってAIが人間を超えたと定義するかですが、たんに処理速度だけであれば、人間を超えることはできるでしょう。レイ・カーツワイル博士の著書には、通常の状態で人間の脳の処理速度は10の14乗~16乗とされています。
日本が誇るスーパーコンピューター京の処理速度は10の16乗ですから、京はすでに人間の通常状態の脳の処理速度には達していることになります。かといって、京が人間のような複雑な演算処理が可能かといえば、現状ではどう考えても不可能なのです。そもそも人間にはまだ解析できていない未知の部分が残っていますし、10の16乗という処理速度が何十、何百という並列処理をしている可能性もあるからです。
もうずいぶんと前になりますが、あるビジネス雑誌で人間の直感についての記事がありました。その中では、人間が直感を感じたときの処理速度を計算すると、たしか10の53乗とか55乗とか書かれていた記憶があります。10の50乗といえば、とてつもない処理速度です。
まずこの速度を達成するために、ハード面の開発に時間がかかります。仮に10年くらいでこの処理速度に到達できたとしましょう。
次に問題となってくるのがデータです。
いくら処理速度を上げたからといって、それだけで人間を超えることはできません。超高速の演算処理を活かすためには、同時に超がつくほど膨大な量のデータが必要になるからです。
今現在、ネットや世界中のPCには膨大なデータが溢れていますが、そのほとんどは文字や音声、画像、動画情報にとどまっています。AIが人間を超えるためには、これらの情報だけではどう考えても不十分です。人間の思考や判断というのは、そのときの精神状態や体調、そして周囲の環境といったものにまで左右される、想像以上に複雑なものだからです。
今後、AIが必要とするデータは、たんに文字、音声、画像だけでなく、人間の感覚、心の働き、体内の化学反応にまでおよんでいくでしょう。そして、これらの外部環境との関連性についてもリアルタイムで監視する必要があります。人間の感覚については、近年解析と開発が進んできていますが、2020年時点では人間と同等の感覚を得るまでに至っていません。
人間の心の働き、体内の化学反応についても、解析の余地が十二分に残っている状態です。
それらの解析に必要となるのが高性能センサーです。人間の活動に使用される様々な感覚、それらを捕獲するための高性能センサーの開発は今後の必須条件となります。この開発にまた10年単位の月日がかかります。
そして忘れてはならないのが、超容量の記憶装置の開発です。
いくらデータがそろっても、データを保存するための記憶装置がなければ話になりません。
現在、私たちが扱っているコンピューターの記憶容量はテラ(T)バイトで表記されます。しかし、AIが人間を超えるために、必要なデータ容量を保存するためには、ヨタ(Y)バイト以上の記憶装置が必要になるかもしれません。
ペタ(P) 10の15乗
エクサ(E)10の18乗
ゼタ(Z) 10の21乗
ヨタ(Y) 10の24乗
ZやYのレベルだと、現状の記憶装置の記録方式では物理的に不可能で、従来とはまったく違った記憶方式を模索する必要があります。恐らく、現状ではまだはっきりとした道筋すら決まっていないでしょう。そのため、超記憶装置を開発し、量産にこぎつけるまで、それこそ何十年の月日がかかると思うのです。
以上の理由から、「あと25年でAIが人間を超える能力を獲得するには至らない」というのが私の結論です。
逆に私は人間の未知の部分の解析が進むにつれ、人類は自分たちがどれだけ膨大な情報の塊かを知ることになると考えています。その過程で、人類は自分たちの可能性に目覚め、今度はAIを使って人類を進化させる方向にシフトしていくような気もしています。
それはそれで面白いことになりそうですね。
私たちはもう生きてはいないでしょうが、遠い未来にはゲームのような世界が広がっているかもしれません。