科学技術の発達は限界なのか?

「科学技術の発達はもう限界にきている」

ネット上でたまにこのような言葉を目にします。

「このようなことを言う人たちは、技術の世界を知らないんだろうな」この言葉を目にしたとき、私はいつもそう思っています。

科学技術が限界だという人たちの多くは、科学技術の進歩が人を不幸にしていると考えているようです。

しかし現実は違います。

科学技術は最終的に自然と調和する

実際、私が子供のころと比較しても、現代人の生活は相当豊かになっているといえます。

インターネットの発達により、パソコンはもとよりスマホのような高機能デバイスが出現し、私たち一般人の生活は飛躍的に向上しました。

もちろん、ネットやスマホの登場でべつの問題もでてはいますが、それは結局、使用する側の問題であり技術自体の問題ではないのです。

環境汚染についても同じことがいえます。

科学技術の発達が環境を汚染しているように言う人がいますが、近年の日本に昭和初期のような公害病など皆無でしょう。それはひとえに有害物質の無害化技術が発達したからです。

日本以外の国では、一部に公害が酷い国もありはします。ですが、それはその国の政府と経営者が金儲け優先で、コストのかかる無害化設備を導入していないことが原因なのです。

私が子供のころ、家の周辺にはドブ川と呼ばれる非常に汚い川がありました。川の中は異臭を放つヘドロの塊で、そこをほじくると何百匹もの糸ミミズが姿を現します。

今思い返しても、顔が歪んでくるほどの酷い汚染状態でした。大きな川でも水は汚く濁り、メダカやハヤのような小魚をたまに見かけるくらいだったのです。

ところが、ここ10年ほど前から川の様子はすっかり変わりました。

子供の頃にあったようなドブ川はなくなり、近所の川にまで大きなコイやフナが泳ぐようになったのです。

それどころか、晴れの日に川をのぞいてみると、スッポンが甲羅干しをしているではないですか。大きな川の水も澄み、50cm級のコイやフナが普通に泳ぐようになりました。

海の水も綺麗になり、昔は深緑色でどんよりしていたのが、今は透き通るようなブルーになっているのです。ただ海の水が綺麗になりすぎて、イワシやサバなど青魚の漁獲量は激減してしまいましたが。

これは浄水技術だけでなく、家庭で毎日使用する食器洗い用洗剤や石けんなどの質が向上し、環境を汚染しなくなったからです。私はこれを見たとき、科学技術は最終的に自然と調和するだろうと思いました。

そもそも科学技術の分野はまだ発展途上です。むしろ今のような中途半端な状態で、技術の進歩を終わらせてしまうほうがかえって危険だといえます。

もし、科学技術の進歩が限界まできているとすれば、何年も技術の進歩は止まって停滞しているはずです。しかし、たかだか5年前とくらべても、新しい技術は日々増え続けているのです。

科学技術が進歩するパターン


科学技術が進歩するパターンには大きくわけて次の2つがあります。

1.革新的技術が発見され、一気に技術が進歩する
2.小さなヴァージョンアップが繰り返されて少しずつ進歩する

1はよくイノベーション(技術革新)などと呼ばれます。

これまでにない新しい技術が発見され、それにともなって生活が一変するようなインパクトを社会全体に与えます。身近な例としては、Appleのiphoneなどがそれにあたるでしょう。

一度イノベーションが起これば、2~3世代すっ飛ばして一気に技術が進歩する感覚を覚えます。

それだけでなく、それまでまったく関係ないと思われていた分野の進歩にまで、影響をあたえてしまうこともあるのです。もちろん、そのようなイノベーションはめったに起こることはありません。

一般的に科学技術が発展してゆくのは2のタイプになります。細かい変更を何度も繰り返すことで、気がつけば最初とはまったく違ったものになっていた。そのような発展の仕方ですね。

身近な例でいえば、パソコンのOSであるWindowsがあります。私が学生のとき、WindowsはまだVer3.1や95でした。それが今やWindows10となり、当初とはまったく違ったOSに変貌を遂げています。

現代の科学技術の進歩は、通常2がベースにあり、その合間に1が入り込んでくるというパターンです。ただ、今後AIや量子コンピューターの実用化が進めば、イノベーションの発生する周期が、今よりも短くなる可能性はあります。

そうすれば、科学技術は今の私たちの想像をはるかに超えて進歩していくことでしょう。

ただ一つだけ問題があります。

高度な技術ほど扱うには高い精神性が必要

先に私はこういいました。
「技術の発達によってでてくる問題は、使用する側の問題であり技術自体の問題ではない」と。

社会全体に大きなインパクトを与える技術というものは、悪用すれば負のインパクトを社会全体に与えることもできるのです。映画 スパイダーマンの台詞にあったように、「大いなる力には大いなる責任がともなう」ということなのです。

社会への影響力が大きい技術ほど、使う側にもより強い精神が必要になってきます。

自分の欲得だけに技術を使うということは、それすなわち力に振り回されていることにほかなりません。ですから、技術の進歩にともなって、私たちの精神も同時に進歩させないといけないのです。

ところが、昨今の日本の状況を見渡してみると、精神の発達というところが無視されている気がしてなりません。

金銭勘定ばかりして、自分の利得のためなら平気で相手に迷惑をかけてもいいと思っている人が増えているように思います。それどころか、人を騙せる人間こそが勝者であり、騙されるほうが悪いといわんばかりの主張をする人までいます。

そのような人間が技術を使うから面倒なことになるのです。

人類は今、技術の進歩だけでなく、精神面でも大きなハードルを乗り越える時期にきています。いちエンジニアの私としては、人間の精神と技術がともによりよく進歩していくことを願うばかりです。