人を見下しても何も変わらない

「人を見下したい」

何年か前から、ネット上でこのような言葉を耳にするようになりました。もし、あなたにこのような考えがあるのなら、今すぐやめたほうがいいでしょう。

ハッキリ言いますが、「人を見下したい」などという願望は、相当低俗な願望だと言わざるをえません。

人間関係をよりよく保つ基本原則は、「自分がされて嫌なことは人にしない」ということです。他人から見下されて気持ちのいい人間などいないでしょう。

普通に考えると当たり前のことですが、この基本原則をわかっていない人が結構いるようです。

人を見下していいことなど何もない

そもそも、人を見下して何かいいことでもあるのでしょうか?
何か自分が変わるのでしょうか?
いいこともなければ、何も変わらないはずです。

正直にいうと、私も若いとき、そのような心境におちいったことがあります。当時は何をやっても上手くいかず、給料も安いわりにパワハラ上司に毎日コキ使われ、精神的に疲れ果てていました。

そんな状況ですから、自分に自信を持つこともできなかったのです。そんなとき、自分より下の人間を見つけてはバカにし、知らず知らずのうち相手を見下していました。自分より下の相手を見下すことで、かりそめの安心感を得ていたのです。

ただ、当時の私はそうやって安心しながらも、心の中には虚しさしかありませんでした。

そしてあるとき、「自分は人としてなんと浅ましいことをしているのだろう」と自己嫌悪におちいりました。いくら人を見下したところで、自分の状況は変わらないし、自分の能力が高まるわけでもない。

「そんなに他人に気を取られている暇があるなら、自分の能力を高めて状況を変える努力をしよう」そう考えるようになりました。

その日を境に、私はキッパリと人を見下すことを止めました。そして、そのときの決断は今でも正しかったと思っています。

人を見下すことの無意味さ

それから15年以上の月日がたち、私はいくつかの職場を転々としました。

どこの職場にでも人を見下す人はいるものです。彼らをよく観察していると、「彼らはあのときの自分と同じなのではないか」と思うようになりました。結局は自分に自信がないのです。不安なのです。

自分というものがしっかりしていないから、他人と比べることでしか自分を確認することができないのです。彼らが人を見下す基準も非常に狭い範囲にとどまっています。たとえば、自分の業務だけ、自分の得意とする分野だけといった感じです。

人間というのは、誰しもいくつかは得意分野があるものです。
それなのに、自分が得意な分野だけ持ち上げて、それができないからと相手を見下す。
これがどれほど意味のないことかは、少し考えればわかるはずです。

例を挙げてみましょう。ここに野球が好きな人とサッカーが好きな人がいるとします。

野球が好きな人はサッカーに興味がなく、サッカーが好きな人は野球に興味がありません。あるとき、野球好きの人がサッカー好きの人を無理矢理バッティングセンターに連れて行って、一緒にバッティングをしたとしましょう。

当然、野球好きの人の方が上手くボールを打つことができます。このとき、野球好きの人が「こんなこともできないのか?」とサッカー好きの人を見下したとしたら、相手はどう思うでしょうか? 

「は? お前が無理矢理に連れてきたんだろう。バッティングなんてこっちは興味ないんだよ」と不愉快に思うはずです。逆の立場でも同じ結果になるでしょう。

仕事についても、しばしばこのようなことが見られます。

ある日、自分の会社に業界未経験の中途採用者が転職してきたとします。当然、業界未経験ですから知識もないし、仕事の要領がよくわかりません。

入って間もないにもかかわらず、ベテラン社員から「お前、こんなことも知らんのか?」と見下されたとしたらどうでしょう。その中途採用者は「何言ってんだ? 知らないのは当たり前だろう」と腹が立ってくるはずです。

これら2つの例について、相手を見下すことに何か意味があるのか考えてみて下さい。恐らく、ほとんどの人は意味がないと答えるはずです。意味があるのはせいぜい本人の低俗な感情を満足させるくらいのものでしょう。

人を見下した代償

私が人を見下すのを止めた方がいいと思うには、またべつの理由もあります。

転職をすると、どの職場でも仲の良い人ができます。その会社を辞めた後、仲の良かった人と連絡を取り合い、話すことがあります。そんなとき、私は必ず「あの人、今どうなってるの?」と聞くようにしています。

すると、人を見下してきたタイプの人というのは、現状維持どころか状況が悪化していることが少なくありません。

数年くらい前から、パワハラについても世間の風当たりがずいぶんと強くなってきました。人を見下しバカにするタイプの人というのは、左遷されたり、リストラされたり、評価を下げられたり、または給与が上がらなくなっていたり、といったことが近年増えてきているのです。

なぜなら、他人を見下すような人ほど、もともと大した能力を持っていないからです。

彼らは、自分より下の人間と比較ばかりしているため、自分を省みることがありません。自分を省みることができなければ、自分を成長させることはできませんし、自分の悪い部分に気づいて修正することもできないのです。

彼らは自分の真実の姿をわかっていません。

自分を知らないということは、自分が何を望んでいるかもわからないということです。自分の望みがわからないと、他人の望みを設定され、それに従って生きてゆくしかないのです。

そうした人たちは、今後は価値の低いコモディティ人材として一生安く使われる運命にあります。そして、その動きはすでに始まっているのです。

自分と向き合い、自分の能力を活かして生きていくか、他人に支配され、自分の意思のない生き方をするのか、あなたならどちらの生き方を選びますか?

私は前者の生き方を強くすすめます。そして前者の生き方をするには、自分の人生に集中しなければなりません。そのためには、他人を見下し、自分を慰めている暇などないと考えるべきなのです。