「あの人には芯がある」このように言われる人がいます。
ここでいう ” 芯 ” とは一体なんなのでしょうか? 案外、ここについて理解している人が少ないようです。芯があるというと、行動や考え方にブレがないとか、自分の考えを貫くことができるとか、多くの人はこのようなイメージを持っているのではないでしょうか?
では、このブレない、貫くといった行動の根幹、つまり根っこの部分はどこにあるのか考えたことはありますか? ほとんどの人は、ここについて考えたことがないと思います。
芯のある人の根っこにあるもの
ここでいう根っこの部分とは、その人の人生における指針があることです。
指針というのは、進むべき道とか目指す方向という意味ですね。
もっと具体的にいうと、
自分はこんな人間になりたい
ということです。芯がある人というのは、ここがハッキリとしているのです。
これはいうなれば、人生全体におけるその人の思考や行動の基準となるものです。自分自身の思考や行動の基準があるから、その人はブレないし、自分の考え方を貫くことができるのです。
芯がある人は動じない
考えてみて下さい。もしあなたが、「自分に嘘をつく生き方はしたくない」という指針を強く持っていたとしましょう。ある日、自分が勤める会社で部長が不正な取引を行っている現場に遭遇しました。部長はあなたにこう口止めをします。「これは俺だけがしていることじゃない。他の役員たちもしていることだ」「もし、このことを口外すればどうなるかわかるな?」
あなたは迷います。「こんな不正はいずれ世間にバレることになる。もし、そうなったら会社の信用は地に落ち、損失も相当なものになるだろう」「今ならまだ損失は最小限にできる。内部告発すべきだ」「しかし、この会社にはあらゆるところに内通者がいる。私が内部告発したとバレたら、私もただではすまない」あなたは難しい選択を迫られます。
自分に嘘をつき、このまま黙っているか。
それとも、自分の心に従って内部告発すべきか。
このような場面では、ほとんどの人は前者を選びます。まずは我が身。「生活のために仕方がない」と。しかし、人生の指針を強く持っている人は後者を選択するのです。「やはり自分に嘘はつきたくない。内部告発しよう」と。
比較的大手の会社だと、こういったケースはままあります。そして、内部告発した人は大抵、左遷されたり出世コースから外される、などの不遇な処置を受けるのです。ほとんどの社員はそのことを知っていますから、我が身可愛さに口を閉ざします。
ところが、芯がしっかりしている人は、そのような扱いを受けても動じません。「こうなることは最初からわかっている」すでに覚悟はできているからです。これが芯のない人だったらどうなるでしょうか? 恐らく、「自分は正しいことをしたのに、どうしてこんな目に・・・」と後悔することになるでしょう。
このように、芯のある人というのは、自分の人生の指針に従って生きているため、いざというときに覚悟を決められるのです。なぜなら、自分の生き方がすでに定まっているからです。
反対に、自分の生き方が定まっていない人には覚悟を決めることができません。だから風見鶏のように、右から風が吹けば右に、左に風が吹けば左に、と周囲に流されて生きることになるのです。周囲に流されるような人は、とても芯があるとは言えないでしょう。
”したいこと” や ”なりたいもの”は指針ではなく手段
「あなたは何をしたいですか?」
近頃、世間ではよく「何をしたいか」が一番大事だと言われます。何をしたいのかが一番大事と聞くと、私はいつも「手段より指針のほうが大事だよ」と思います。なぜなら、人生の指針が定まっていれば、したいことはおのずと決まってくるからです。若いころは、誰しも経験がありませんから、人生の指針や方針といったものがぼんやりとしかないかもしれません。
しかし、たとえぼんやりとでも「自分はこういう生き方がしたい」という気持ちを持ち続けていると、経験を重ねるにつれ、次第に自分のしたいことがハッキリとしてくるのです。そして、何をするかというのは、あくまであなたが ”こういう生き方をしたい” という指針、生き方を満たすための手段でしかないのです。
このほかにも、「あなたは何になりたいですか?」という問いもあります。
これは幼稚園や小学校でよく聞かれますね。この何になるかというのも、自分の生き方を満たすための手段です。私がまだ20代のとき、ある大手企業に技術系派遣で入っていたことがあります。ある日、その会社の飲み会があり、私はそこの部長からこう聞かれました。
「石山君は何かなりたいものはあるのか?」
正直なところ、当時の私はまだ何になりたいかハッキリ決まっていませんでした。そこでこう答えました。「ハッキリとなりたいものはまだありませんが、こういう生き方をしたいという人生の指針はあります」それを聞いた部長は、「いや指針なんてあっても仕方がないんだよ。人生、何になるかが最も大事なことなんだ」私はこれを聞いて内心思いました。「いや指針の方が大事でしょ」と。今でもこのときの自分の考えは間違っていなかったと思っています。
繰り返しになりますが、”したいこと” や ”なりたいもの” はあくまで自分の生き方を満たすための手段です。私は人生の指針こそが、人生において最も大事なものだと考えています。自分はこんな生き方をしたい、自分はこんな人間になりたい、ここをまず決めることが、自分の人生を歩むための出発点になるからです。
転落しても復活できる人の条件
人生は何が起こるかわかりません。
一度は登りつめたとしても、ある日、突然転落してしまうこともあります。
そんなとき、また元の状態まで復活できる人、
一度転落したら二度と復活できない人がいます。
両者の違いは何なのでしょうか?
これは間違いなく、その人の人生に指針があるかどうかの違いです。人生に指針がある人は、一度転落しても自分の生き方が定まっていますから、右往左往せずまた頑張ればいいと考えることができます。
翻って、指針のない人は自分の生き方が定まっていませんから、何をすればいいのかわからなくなります。することがわからないのですから、復活するのも棚からぼた餅の運頼みになってしまうのです。当然、運頼みでは復活できる可能性は低くなるでしょう。たまたま運だけで成功できた人に、このような人が多いように感じます。
私もこれまでの人生で何度か酷く打ちのめされたことがあります。人生が本当に嫌になって自殺を考えたこともありました。自暴自棄のような状態に陥ったこともあります。しかし、しばらくすると私は必ず復活するのです。振り返ってみると、これは私の人生に指針があったからだと気づきます。
私には「自分はこういう生き方がしたい」「こういう人間になりたい」という思いが強くありました。だからこそ、一度は自殺しようと考えても「人生をここで諦めてもいいのか?」、自暴自棄に陥ったときも「自分はこんな生き方がしたかったんじゃないだろ!」と強く自分を鼓舞することができたのです。自分の生き方が定まっていれば、自暴自棄に陥っている場合ではないと考えることができるようになるのです。
だから、もしあなたにやりたいことが見つからないなら、
まずは「自分はこういう生き方がしたい」「自分はこんな人間になりたい」
ということを決めましょう。
そのモデルは歴史上の偉人、好きな有名人、漫画や映画の主人公でも何でもいいのです。それら複数の寄せ集めでも構いません。自分の理想とする生き方や人物像のようなものをまずは作ってみて下さい。
そして、それに自分が少しでも近づけるよう努力をするのです。人生の指針に向かって努力を続けていれば、それはいづれ強固な意志となり、あなたの中に確固たる芯を築くことになるでしょう。