報われる努力、報われない努力

「自分のためではなく、他人のためにする努力が正しい努力だ」

社会に出たころの私は、このように考えていました。しかし、その考えはすぐに間違いだと気づきます。日本人の美徳として、利他の精神や自己犠牲があります。たしかに、私もこれらは素晴らしい精神だと思っています。しかしながら、利他の精神や自己犠牲は、向ける方向を間違えると、悪い結果をまねくことも少なくないのです。

今回は、どのような努力が報われるのか?、どのような努力が報われないのか?
について考えていきたいと思います。

報われない努力とは?

社会にでてから何年かして、私が気づいたことは、
「報われない努力をしている人があまりにも多いのではないか?」ということでした。

給料が上がらない会社で、いつまでも必死に働く社員。
評価する気のない上司から評価を得ようと一生懸命に頑張る人。
騙され搾取されているのに、知らずに頑張っている人。

もちろん、一生懸命になって物事に当たることは悪いことではありません。不真面目にやるより100倍マシでしょう。ですが、狡猾な相手を利するためにする努力は、社会全体のモラルを低下させ、いづれ自分たちの身に跳ね返ってくることを知らないといけません。

私が考える報われない努力とは、次の3つです。

 自分の価値感に合っていない努力
 自分の目的と合致しない努力
 他人のためだけにする努力

順番に説明していきます。どれも他人と関係しています。

自分の価値観に合っていない努力

自分の価値観に合っていないと感じることに努力をしてはいけません。価値観は人それぞれですから、具体的にどんな価値観が自分にあっていないかを説明するのは難しいのですが、簡単にいえば「自分の本心が嫌だといっている」ことには努力すべきでないということです。

自分の価値観に合っていないことをしていると、あなたの本心はいつも「嫌だ、嫌だ」と悲鳴を上げることになります。そんな状態で努力をしても、なかなか成果は上がりません。精神もすり減っていくだけです。そればかりか、「嫌だ」という自分の心の声を無視し続けていると、いづれ心の声が聞こえなくなってきます。それはすなわち、あなたが自分自身を失うということです。自分を失った人間は、ただ他人に追従し、利用されるだけのロボットのようになってしまいます。そのような人生には喜びも達成感もありません。

自分の目的と合致しない努力

人生にはそのときに応じて、様々な目的があります。自分はこうなりたい、自分はこんな生き方がしたい、自分は○○になりたい、このような目的に合致してない努力はすべきではありません。もちろん、自分の目的がある程度はっきりしている人でないと難しいかもしれません。ただ、あなたが今、なんらかの目的を持って人生を送っているのであれば、それに集中することをおすすめします。

目的と合致しないことをすれば、人は気が散って目の前のことに集中できません。そのような状態では、大した能力アップも成果も期待できないのです。まさに、”労多くして益少なし” という状態になってしまいます。

そうはいっても、人生ときには回り道をせざるをえない状況もあります。そういうときは、自分の目的を見失わないよう注意しなければなりません。とくにサラリーマンをしていると、仕事に忙殺され、目の前の仕事にだけ気を取られてしまいがちです。そして、気がつけば自分の目的を見失ってしまうのです。自分の目的を見失わないため、定期的に自分の目的は何かを自分自身に問いかけてみましょう。一人静かな場所で、自分自身と対話するのです。「自分は今、なにがしたいのか?」と。そうやって、自分自身との対話を繰り返すことで、自分の目的というものが次第にハッキリと浮かび上がってくるはずです。

他人のためだけにする努力

冒頭で書いたことです。日本はその昔、長らく封建社会を維持してきました。そのためか、会社や上司など、他人のために尽くすことを美徳とする文化が根強くあります。ですが、これが必ずしも正しいことだとはいえないのです。私は見出しのタイトルに、「他人のため”だけ”にする努力」と書いています。この「だけ」が問題なのです。他人のためだけに努力をすることは、自分の生き方から外れることを意味します。それは言い換えると、他人の人生を歩んでいることと同じなのです。

基本、努力というのは自分のためにするものです。自分のために努力をするということは、人生を主体的に送っているということです。人生を主体的に送っているから、能力アップや成果もともなってくるのです。最後にまとめるなら、報われない努力とは結局のところ、主体性のない努力をするということになるでしょう。

報われる努力とは?

では、報われる努力とは何か? ということですが、
これは報われない努力の反対ということになります。

 自分の価値観に合っている努力
 自分の目的と合致する努力
 自分のためにする努力

前項の最後に書いたように、
これらを一言でいうなら主体性のある努力をするということにつきます。

ただ、3つ目に関しては勘違いしないように注意しないといけません。自分のためにする努力というと、多くの日本人は ”自分のことしか考えてない身勝手な奴” といったイメージを持ってしまうかもしれません。しかし、自分のために努力をする人というのは、ある意味で自分を大切にしている人だといえるのです。

「自分のことを大切にしているから、他人のことも大切にできる」という言葉を聞いたことがある人もいるでしょう。その理由として、自分のために人生を使っている人は、そうでない人に比べ、ストレスや不満感が少ないのです。結果として、精神的・肉体的に余裕がでてきます。精神的・肉体的余裕があるからこそ、人は他人に対して優しくしたり、協力したりすることができるのです。実際に、私がこれまで見てきた現実を振り返っても、これは正しいと思います。

どちらかといえば、日本人は自分のことより他人のことを考えすぎです。だから多くの日本人は、「少しワガママになったくらいがちょうどいい」と私は思っています。これからは、もっと気楽に構えて自分のために人生を使うべきです。むしろそうしないと、これからの時代は、人としての価値が失われていくことになるでしょう。主体性のある人生こそが独自性を生み出し、独自性こそが創造力の源泉になるからです。