パワハラは社会の癌

「パワハラは百害あって一利なし」

社会にでてから今日に至るまで、パワハラについて私の考えは一貫しています。この20年、ただの一度としてパワハラが必要だと思ったことはありません。

しかし、日本社会では今でも多くの企業でパワハラが放置され、パワハラに悩み、苦しむ人が後を絶ちません。

2015年、某大手広告代理店の新入社員が過労自○した事件以降、パワハラに対する世間の風当たりが強くなってきました。

私としては「なにを今更」といった感じでした。実は、こうした事件は20年前から何度もあったのです。とはいえ、動きがないよりは遙かにマシだと思います。

今回は、なぜ日本社会でパワハラが行われるのか、なぜパワハラがダメなのかについて考えてみます。

パワハラを育んだ日本の企業文化

私が若いころ、学校では教師の体罰が当たり前でした。部活動では厳格な上下関係のもと、先輩から無理難題を押しつけられます。

そして社会にでれば、学生時代の延長のような上下関係が敷かれ、上司や先輩から虐げられても、下の人間は我慢するのが当然といった空気が流れていました。

私は小学生のころから、このようなことはおかしいと考えていました。そもそも、上司だから、先輩だから、年上だから目下の者に偉そうにしてもよいという風潮が気に入りません。

私もこれまでパワハラを散々受けてきましたから、パワハラにはずいぶんと悩み苦労してきました。同時に、「彼らはなぜこんなことをするのか?」といつも考えていたのです。

その中で、パワハラをする人間の心理というものが次第にわかってきました。

【パワハラをする人間の心理的特徴】
 出世欲が強い
 競争心が強い
 劣等感が強い
 不自由である
 小心者である
 思い込みが強い

出世競争とパワハラの関係

企業やその他の組織において、パワハラが助長される最大の原因は出世競争です。

とくに日本では、長年にわたり終身雇用・年功序列の制度が敷かれてきました。ほとんどの従業員は、一度入った会社に定年まで勤め上げることが前提だったのです。

ずっと同じ会社に居続けるのですから、出世のことを考えれば、周囲の人間はすべてライバルとなります。

ただでさえ、今の中高年世代の若いころは大競争時代であり、「男は出世するのが当たり前」という考えが強い時代でした。そのため、他人を押しのけてでも出世したいという人間が増加することになります。

彼らは同僚や後輩を敵視し、自分に逆らわないよう手懐けようとします。それが高圧的な態度や攻撃的な言動となって現れるのです。

さらに、年功序列という考え方も加わり、社内では年下の者が年上の者に逆らえない空気が作られていました。年下の者は、年上の者からいくら罵倒されようが我慢しなければなりません。

年下の者が我慢すれば、年上の者には何のリスクもありません。リスクがなければ、罵倒する側はますますつけ上がってきます。その無抵抗がパワハラに拍車をかけるのです。

また、大抵の場合、パワハラする側も上司や先輩から同じような扱いを受けている、もしくは過去に受けていたので、そのストレスを自分より下の者にぶつけることで解消しようとするのです。

パワハラに耐えかねた人は、さらに上の役職者に抗議をするのですが、ほとんどは「彼には厳しく言っておく」などという、その場しのぎの言葉だけで解決には至りません。

なぜなら、彼らの多くは「自分たちもやられてきた」という思いが心の底にあるからです。そこに善悪の判断はありません。

「自分たちもそうされてきた、それが普通だった」「だから君たちも出世したければ我慢しろ」ということなのです。

そういう我慢ができて、初めて彼らの仲間として受け入れられるのです。当然、経営幹部たちも同じことをしてきたのでしょう。上からされたことが下に降りてゆくのは人間社会の常です。

上がそんなだから下もそのようになる、またはそのような人しか、その会社には残らないということになるのです。このような負の連鎖がいまだ、多くの日本企業でみられます。

自分への劣等感が強い人ほど出世欲が強い

私が見てきた限り、パワハラをする人は出世欲が非常に強い人が多いです。

同時に、自分への劣等感も強い人ばかりだった印象があります。彼らは自分に自信がないため、役職という権威を手に入れることで自信のなさを補おうとするのです。

そのため、上司のいうことを何でも聞き、どんなことをされても決して逆らうことがありません。つねに上司の顔色をうかがい、どんな面倒ごとも引き受け、心にもないお世辞を言い、上司を持ち上げます。

終身雇用・年功序列が機能していた時代では、上司に好かれることこそが出世の条件だったのです。

しかし、そのような無理をしていれば、当然のことながら本人には相当なストレスがかかります。ほとんどの場合、彼らはそのストレスを目下の者にぶつけることで解消しようとするのです。

出世競争で不自由になる人

歪んだ出世競争に身を投じた人たちは、身も心も不自由になってしまいます。出世のため上司に尽くすのですから、彼らの判断基準や行動基準は全て自分の上司が基準になるからです。

そこに自分の考えはありません。これは会社組織に限ったことではありませんが、自分が不自由な人ほど、身近にいる弱者を支配しようとします。一挙手一投足にいたるまで、細かく指示をだし、自分の思い通りにしようとするのです。

彼らの多くは、現代の会社組織において、それがパワハラになることをわかっていません。目先の評価しか頭にないため、相手のことを思いやる余裕などないのでしょう。

パワハラをする人間は小心者である

パワハラをする人たちを見ていて、最終的にいきつく結論は、誰もが小心者であるということです。

彼らは小心であるために、自分は他人より優れている、お前より上なんだということを常に示さないと落ち着かないのです。

相手を抑えつけておかないと、ナメられる、弱いと思われる、追い抜かれるなど、それらの恐怖心が心の奥底にあります。

そのため、彼らには対等という概念がありません。自分より上か下かでしか、他人を見ることができないのです。

彼らの多くは頭が硬く、競争しなければならない、勝たなければならないといった思い込みが強くあります。

その思い込みが強いために、競争に負けることの恐怖心が人一倍強くあるのです。

しかし、本当に強い人間とは相手からマウントを取ったり、勝つことに異常にこだわったりしません。強い人は自分に自信があり、高い能力を持っているため、相手からマウントを取らなくても一目置かれるのです。

相手が自分より優れた能力があることも認められるため、全てに勝とうとはしません。相手に花を持たせる余裕があるのです。だから人が寄ってくるのです。

翻って、パワハラをするような人というのは、自分に余裕がないため、相手より全てにおいて優れていないといけないと考えています。

何事も自分の方が上でないと気が済まないのです。当然、彼らから人はどんどん離れていきます。

そういう人は、目先のつまらない勝負には勝っても、結局は人生の大勝負に負けることになります。小心者は目先の感情にとらわれるため、そこに気づけないのです。

企業を滅びに導くパワハラ

さて、ここまで日本企業におけるパワハラの構造について説明してきました。次に、パワハラがなぜダメなのかについて、私なりの考えを述べてみます。

私がパワハラを問題視する理由は、大きく分けると次の3つです。

 人権侵害
 生産性の低下
 コンプライアンスの低下

個人の私物化という人権侵害

私がこれまで見てきた、そして受けてきたパワハラ行為で最も問題だと感じたのは、人権侵害ともいえる個人の私物化です。

パワハラが酷い人というのは、たいてい自分の部下や後輩を私物化し、まるで小間使いのように扱います。もちろん相手の意見など一切認めません。

自分のほうが全てにおいて正しいといわんばかりに、相手の意見をことごとく否定し、高圧的な態度で抑えつけようとします。

仕事にもそのような身勝手は現れます。通常業務においては、面倒な仕事は全て部下に丸投げ、酷いケースになると、直接仕事には関係のない私的な用事までさせようとします。

そもそも、会社に勤めるからには1人1人の従業員は会社の資産です。会社の資産を自分の好きなように扱ってよいわけがありません。

ましてや、私的な用事に部下を使うなど、横領にも等しい行為だと知らなければなりません。パワハラをする人というのは、ここのところをはき違えている人が多いように思います。

パワハラが組織の生産性を著しく低下させる

近年、パワハラが組織の生産性を低下させることが様々な調査でわかってきました。しかし、そんなことは調査するまでもなく、わからないといけないことなのです。

パワハラを直接受けた人は、まず精神的なダメージを受けます。それが長期に渡り続くとなると、肉体的にも不調をきたします。倦怠感、偏頭痛、胃腸の機能障害、記憶力や注意力の低下など。

このような症状がでてくると、当然、本人の生産性は著しく低下します。

それだけではありません、パワハラの現場を目撃した人たちにも心理的悪影響があります。パワハラが常態化した組織では、他の社員の士気も低下しますし、離職率も上がることになるでしょう。

そんな会社にはまともな人材も定着しません。

繰り返しますが、こんなことは調査するまでもなく予想できないといけないのです。人間の感情を推し量る想像力が少しあれば、誰でもわかることだからです。

とくに会社経営者であれば、ここをわからないなど経営者失格だといっても過言ではありません。にもかかわらず、パワハラ撲滅に重い腰を上げない経営者は依然として存在します。

恐らく、彼らはそれまでパワハラ的なやり方でやってこれたから、これからもやっていけるだろうと考えているのかもしれません。

非常に甘い考えだと思います。近い将来、そのような会社は市場からの撤退を余儀なくされるでしょう。

コンプライアンスが低下した企業から凋落する

パワハラを放置している会社というのは、例外なくコンプライアンス(法令遵守)の意識も低下しています。

パワハラというのは、何も社内の人間だけに発生するわけではありません。

ある程度の規模の会社になると、設備メーカーや部品の納入業者、派遣会社など、様々な業者さんが出入りすることになります。

それらの業者さんに対しても、パワハラは行われているのです。

業者さんに対するパワハラは、ときに金銭的なメリットをもたらします。業者さんに厳しくクレームをつけることで、物品の値引きを要求したり、一部の代金を支払わずに済ませたりします。

酷いケースになると、自分の立場が強いのをいいことに、相手に何の断りもなく、勝手に見積もりの代金から何割か値引きした金額しか払わないということまであります。

そのような不正な行為が横行したため、2009年に下請代金支払遅延等防止法が改正されました。

それ以降は、流石に無断で値引きするなどの露骨な不正は息をひそめています。

ちなみに、私がこれまで勤めた会社で、そのような不正が常態化していた会社は、2020年の現在、すべて事実上倒産しています。

事実上と書いたのは、一部は会社更生法を適用したり、親会社に吸収されたりして事業を存続しているからです。

ただ、元いた社員は大規模なリストラにさらされ、経営幹部は早期退職を迫られほとんど残っていないそうです。

パワハラは家庭さえも破壊する

パワハラについて、最後に言いたいことがあります。それは、パワハラは家庭にも悪影響を与えるということです。

もし、パワハラが常態化した会社で父親が働いていたとすると、父親は相当なストレスを抱えていることになります。

ストレスのはけ口として、その矛先が自分の奥さんや子供に向けられることもあるでしょう。

そうでなかったとしても、パワハラに疲れ、父親の活力が失われた姿を見ている奥さんや子供はどう思うでしょうか?

そんな姿の父親を毎日みていれば、誰だって気持ちよく毎日を送れなくなります。

もちろん、自分の奥さんにも十分な愛情を注ぐこともできません。子供は将来への希望など持てなくなるでしょう。

そして、自分の頑張りとは裏腹に、家族の心も離れていくことになるのです。

そのようにしてパワハラによって壊れた家庭は、日本中に相当数あるのではないかと私は推測します。

そう考えると、パワハラは会社の中だけの問題ではなくなってくるということがわかります。

だから私は言うのです「パワハラは社会の癌(ガン)」だと。

パワハラを放置することは、企業を凋落させ、家庭を壊し、最終的には日本全体を弱体化させることに繋がるのです。

「企業が社会を悪くする」、今の日本社会を見ていると、私はときどきそう思うことがあります。

ちょうど世間の流れもパワハラ撲滅に動き出してきました。今こそ、パワハラをなくし日本企業を復活させるチャンスではないかと私は考えています。