日本人には創造力がないのか?

「日本人には創造力がない」

たまにこのような言葉を目にします。私はこのような言葉を見るにつけ、「本当にそうだろうか?」と疑問に思います。私にはそう思えないからです。

漫画やアニメ、ラノベから風俗にいたるまで、サブカルチャーの分野に目を向ければ、日本ほど多様なジャンルが存在し、オリジナリティに溢れた国はほかにありません。

これは一度でも海外に行けばよくわかります。にもかかわらず、当の日本人は「自分たちには創造力がない」と考えている人が少なくないのです。

たしかに、その気持ちがわからないではありません。日本には創造力豊かな分野と、創造力が発揮できていない分野というものが存在するからです。

また、日本の教育についても創造力を阻害する教育がおこなわれていると感じます。今回は、その辺りについて考えてみましょう。

創造性を育まない日本の学校教育

基本的に、人が創造力を発揮するためには、なんの縛りもない自由な発想ができないといけません。日本には厳しい宗教の戒律もなく、すべての国民に自由な発想が認められています。

普通に考えれば、これだけでも創造力が十分に発揮できる土壌があるといえます。ところが、日本の学校教育、とりわけ公立学校の教育については、自由な発想を育まない教育がおこなわれていると感じます。

日本の公立学校の教育は、いまだに暗記とテストが中心の教育です。これらの何が問題なのかといえば、暗記とテスト中心の教育は、常に一つの正解しか用意しないことです。

これは、ほかの解答が正解である可能性がゼロになるということです。つまり、「ほかの解答を考えてはいけません」と言われているようなものです。

そうなると、学生たちはたった一つの正解を求めて、答えを暗記をするという学習法になってしまいます。それが義務教育で最低でも9年続くのですから、ほかの可能性を考えられない、発想が乏しい人が増えてしまうのは当然のことなのです。

創造性を阻害する日本の企業文化

日本の企業文化についても、教育と同じことがいえます。戦後の高度経済成長期から平成の時代にいたるまで、大企業を中心に、日本では言われたことをミスなくこなすことが求められました。

そこに自分の考えは必要ありません。仕事もルーチンワークといわれる、同じ手順を繰り返す作業が一般的だったのです。

毎日、同じことばかり繰り返す生活が何年も続けば、どうしても視野が狭くなり、発想の自由もおのずと制限されてきます。

そればかりか、多くの日本企業では自分の判断を不用意に入れると、「余計な自己判断をするな!」と上司から怒られる始末です。だから、社会人になると、ほとんどの会社では報連相が大事だと言われるのです。

しかし、他人に報告・連絡・相談ばかりやっていて、自由な発想など育つわけがありません。そこには自分独自の考えを差し挟む余地はないからです。ただ事実だけを上司に報告し、判断は上司がします。

それが習慣づけられてしまうと、人は自ら考える力を失ってしまいます。実際、報連相ばかりやっている人に、発想が豊かな人を私は見たことがありません。

なぜ日本のサブカルチャーは創造性豊かなのか

ここまで読んだ人ならもうおわかりだと思います。日本のサブカルチャーが創造性豊かな理由は、組織のルールという縛りがないからです。

組織というものは、規模が大きくなるほど、そのぶん守らなければならないルールが増えてきます。守るべきルールが増えるほど、個人の発想は制限されてしまうのです。

とはいえ、その日の仕事を終えて会社を離れると、あれをしてはいけない、これをしてはいけないという決まりはもうありません。

もちろん、最低限の倫理観は必要だと思いますが、頭の中で考えるだけなら、どんなことをしようと個人の自由です。

普段は会社組織に身を置いていたとしても、自分の考えを形にしたいという情熱さえあれば、人は創造力を発揮できるようになります。

結局はここでも、主体性を持ってなにかに取り組むという姿勢が重要だとわかります。

自分は想像力がないと考えている人の多くは、人生を主体的に送れていません。自分の生き方が定まっていないため、世間の常識、勤めている会社のルールが自分の生き方の基準になってしまっています。

もしあなたが、そのような状態に陥っているなら、まずは自分がなにをしたいのか、どんな生き方をしたいのかを決める必要があります。

もちろん、すぐには決まらないでしょう。ですが、それを諦めず自分に問い続けることで、いづれ自分の生き方は見つかるようになります。

同時に、会社など組織のルールは、その組織の中だけと割り切って、自分のプライベートには持ち込まないようにしましょう。プライベートまで会社に支配される必要はないのですから。

近い将来、日本の会社組織でも、今よりは自由な発想が認められるようになっていくでしょう。そのように舵を切っていかないと、今後は生き残れなくなるからです。

とくに、企画、開発部門で自由な発想ができないことは致命的です。まずはここから改革を始めなければなりません。多くの日本人が創造力を発揮できる環境が、一刻も早く日本企業に整うことを願うばかりです。