「日本人はとにかく失敗を恐れる」
日本人について、よくこのように言われます。たしかに、私の若いころも「ミスをするな」と、先輩や上司からよく言われた覚えがあります。
なぜこのようになってしまったのでしょうか?
私は、日本の学校教育と企業文化に、その原因があると考えています。今回は、そこについて考えてみましょう。
失敗を悪いものとするテスト重視教育
まず、日本の学校教育について考えてみます。学校教育においての失敗とは、テストの問題を間違えることです。
団塊の世代から私の世代くらいまで、日本はベビーブームと呼ばれる出生率の高い時代が続きました。子供が多いと、必然的に教育現場でも競争が激しくなります。
テストでいい点を取れば先生や親から褒められますが、テストの点が悪いと大抵は先生や親から小言をいわれることになります。
まだ自我の育っていない多くの小学生や中学生は、このとき自然と「間違えるのは悪いことなんだ」と思い込むようになります。
とくに親が厳しい家庭では、テストの点が悪いだけで、親から毎回キツい説教を受けていた同級生もいました。幼いころからのそうした教育は、なかば強迫観念のように子供の心を強く縛ることになります。
思い返してみると、当時は親や先生だけでなく、周囲の大人全員が競争社会の呪縛に強く捕らわれていた時代でした。多少マシになったとはいえ、現在もその流れは続いているように思います。
会社組織に継承されたミスを許さない文化
「間違えることは悪いことだ」と、すり込まれた子供が大人になるとどうなるでしょうか?
会社組織においても、その流れは続くことになります。会社での業務に学生時代のようなテストはありません。そこで、間違いを悪とする風潮は、日常業務のあらゆるところに及ぶことになります。
書類やメールの誤字脱字はもちろん、上司や先輩への礼儀作法、宴会での席順にいたるまで。あらゆることに「これはこうしないといけない」といったルールを設けるようになったのです。
そして、それらのルールから逸脱すれば「君は社会人としての常識がない」といったレッテルを貼られることになるのです。
とりわけ、終身雇用・年功序列の時代には、そうしたレッテルを貼られると昇進に影響します。そのため、多くのサラリーマンは、世間の常識や社内のルールといったものに敏感になっていきます。
そして、いかにそのルールから逸脱しないようにするか、そこに細心の注意を払うようになるのです。
その結果、ほとんどのサラリーマンたちは、社会のルールから外れないよう、無難な行動ばかりするようになってしまったのです。
失敗を恐れては何も変えることはできない
日本の社会はこのままでいいのでしょうか?
私はダメだと思います。どうでもいい些細なミスですら恐れるような人間に、大胆なことができるわけがありません。
会社組織を大きく変革したり、製品にイノベーション(技術革新)を起こしたりするためには、それまでとはまったく違った大胆なアプローチが必要だからです。
大胆なアプローチをすれば、ときに大きな失敗もすることでしょう。ですが、それを恐れていては何も変えることはできないのです。
今、多くの日本人は、老いも若きも小心になりすぎているように感じます。中高年は責任を取りたがらない管理職ばかりですし、新卒の若い人たちも「失敗はしたくない」という人がとにかく多い。
社会人になってからの失敗は、99%金銭的損失につながりますから、その気持ちがわからないでもありません。ですが、そんなことばかり考えていては、何も変えられないのが現実というものなのです。
会社組織にしろ、自分の人生にしろ、本気で変えたければそれなりの損失は覚悟しなければなりません。
失敗を経験すると損失の算出ができるようになる
そもそも、失敗を恐れる人の多くは、損失の算出というものができていません。損失の予測がたたないから、必要以上に恐れを感じることになるのです。
そして、失敗の損失が算出できるようになるためには、たくさんの失敗を経験する以外の方法はないのです。大した失敗もせず、変革や成功ができるというのはただの幻想にすぎません。
それはいうなれば、ボクシングの世界大会で、1発の被弾もせず世界チャンピオンになると言っているようなものです。そんなことは、どう考えても不可能だとわかるでしょう。
とくに、今の若い人たちには、失敗を恐れず思い切って行動してもらいたいと思います。若いころの手痛い失敗は、間違いなく後の人生にプラスになります。
若いころにたくさん失敗を経験した人は、中高年になったとき、それが人間的魅力となって発揮されるのです。卓越した判断力、自己保身に走らない勇気、変革を恐れない実行力となって。
なにより、そうした人は中高年になっても職に困りません。確かな実力が身についていますから、どこにでも活躍の場を見つけることができるのです。
逆に、若いころから失敗を恐れ、無難なことばかりしてきた人はどうなるでしょう?
リストラされることを恐れ、自己保身に走り、世間の空気に右往左往しながら毎日を送ることになります。多くの失敗を経験した人とは、人としての経験値が違うため、いつまでたっても自分で物事の判断ができないのです。
しかも、そうした人たちの価値は、今現在においても低下し続けているのです。
年をとっても不安なく生きる人生、年をとるほどに不安が大きくなる人生、あなたはどちらの人生がよいでしょうか?
もちろん、私は前者の人生をすすめます。