「男は出世しなければならない」
いまだにこのように考えている人は多いようです。しかし、私はすでに、同一社内で出世を狙うのは時代遅れだと感じています。
あまりにもコスパが悪いからです。今回は、出世について私が思うことを書いてみます。
8割以上が課長にすらなれない時代
バブルの時代までは、長年同じ会社に勤めれば、ほとんどの人に何らかの役職がつきました。
今の若い人たちからすれば、「どうやってそんなに役職を作るのか?」と思うことでしょう。私が社会に出た25年前、バブル崩壊後でしたが、まだその名残がありました。
その頃、専務・常務・部長・課長などには、必ず ”代理” と呼ばれる役職が存在していたのです。
部長代理や課長代理、そのほかにも、部長と同等の権限を持つ所長とかいったものです。
あるいは、それまであった部署の業務を分割し、新しい部署を作って、そこの役職に誰かを持ってくるなど。そういったことが頻繁に行われていました。
今考えてみれば、どの会社にもまだ資金的に余裕があったのでしょう。余裕があるから、無駄な部署を作ったり、代理職という意味不明な役職を当てることもできたわけです。
ところが、現在はどの会社でも、8割以上が課長にすらなれません。ほとんどの会社に、資金的な余裕がなくなってしまったからです。
無駄な部署は統合し、どの部署も極力人員を絞ります。そして役職もできるだけ少なくしているのが、今現在の社会のトレンドです。
そのため、社内でも限られた一部の人しか、役職には就くことができなくなってしまったのです。
つまらない競争に身をすり減らす人たち
役職というものが、必要最低限まで絞られた今の時代、社内の出世競争は激化します。役職という名の少ないイスを求めて、狭い世界でイス取り合戦が繰り広げられるのです。
「彼らはなぜそんなに出世にこだわるのか?」と私は思っていました。
たしかに、私くらいの世代までは、まだ「男は出世するもの」といった価値観が強かった時代です。みんながみんな出世を目指すのも、ある意味で仕方のないことだったのでしょう。
ですが、誰もが本心から出世をしたいと考えていたようには思えません。私が見た限り、彼らが出世を欲する最大の理由はお金でした。出世すれば平社員よりも高収入が狙えるからです。
その次が権力です。世の中には、周囲に対して偉そうにしたい人もいるからです。そしてなにより、出世を狙うほとんどの人は「出世しなければならない」という、強い思い込みに支配されていました。
彼らは、出世をするため同僚を敵とみなし、他者を押しのけ出世競争に邁進します。多くの日本企業では、終身雇用・年功序列の考え方がいまだ根強いですから、出世をするには10年単位の年月がかかります。
そんな競争を10年以上も続けるのですから、精神もすり減っていきますし、人間的にも卑屈になっていきます。同時に、ほとんどの人は競争の過程で、身体になんらかの不調を抱えることが多いのです。
私はそんな人たちを尻目に「そんな人生、一体なにが楽しいんだろうか?」といつも思っていました。
コスパが悪すぎる出世競争
そもそも10年もあれば、人はかなりのスキルを身につけることができます。他の人ができないような、高いスキルを身につけることも可能でしょう。
それが10年、20年という時間なのです。同一社内での出世競争に身をすり減らすくらいなら、自分の業務能力を高めて転職した方が、確実に早く収入を上げることができます。
とくに、今の時代はその傾向が強くなっています。収入だけでなく、転職で役職を獲得することも以前より簡単になっているのです。
どうしても、その会社にこだわりがあるというのなら、それはその人の生き方ですからよいと思います。
しかし、出世の目的がお金であれば、自分の能力を高めて転職したほうが、数段早く収入を上げることができます。役職がどうしても欲しいのなら、役職者募集の求人に応募し、自分の経験をアピールした方が早いかもしれません。
私が何を言いたいのかといえば、結局、「やりようはいくらでもある」ということなのです。経団連でさえ「終身雇用はもう守れない」と宣言しているのですから、そうまでして一つの会社での出世にこだわる理由もないでしょう。
少なくとも、同一社内という狭い世界で出世競争をするよりは、広い外の世界に目を向けた方が、収入アップや昇進の可能性が高いのが今の世の中です。一度外に目を向ければ、社内のイスより、ずっと豪華なイスがたくさんあることに気づくはずです。
そう考えると、同じ会社内での出世競争が、いかにコスパが悪いかわかります。10年、20年という時間をイス取り合戦に使うより、自分の能力アップのために有効活用しましょう。
出世しても環境が変われば評価は一変する
ここで、同一社内で出世してきた人が、転落した例を2つあげてみようと思います。今から書くことは、これまで私が勤めてきた会社で実際にあったことです。
上司が変わって評価が一変したAさんのケース
ある会社にAさんという人がいました。彼は劣等感が強いためか、異常なまでに出世欲が強い人でした。
自分の出世を脅かす人が現れると、仲間たちとあらぬ噂を流したり、露骨に仕事の邪魔をしたりします。そして、上司には常にいい顔をして、上司にとって都合のよい人間になりきっていました。
数年後、彼は望み通り課長に昇進します。ところが翌年、彼を可愛がっていた部長が別の部門に異動となり、べつの新しい人が部長として彼の部門にやってきたのです。
新しい部長は、前の部長とまったく違うタイプで、Aさんとはソリが合いません。
Aさんがどんなにいい顔をしても、ちゃんとした結果が出せなければ厳しい評価を下されます。前の部長はゴマをすっておけばよいタイプだったのです。
しかし、新しい部長は仕事の内容を厳しく数字で評価する人でした。Aさんお得意のゴマすりは通用しないどころか、むしろ逆効果となります。
結局、Aさんは新しい部長から嫌われ、大した評価もされず、他部署に異動となってしまいました。
外資に買収されリストラされた元副工場長Bさんのケース
こちらはBさんとしておきましょう。Bさんが勤めるのは、大手企業の製造工場です。
彼も出世欲が非常に強い人でした。新卒でその会社に入り、38歳の若さでその工場の副工場長の座に登りつめます。周囲の話しを聞いてみると、とにかくゴマすりが凄いと評判でした。
このようなゴマすりが、これまでの社会では出世の必要条件だったのでしょう。
ところが、超円高のあおりを受け、その工場が外資に買収されることになります。買収後、しばらくすると社内で大々的な人事改革が行われました。
課長職以上の役職者はほぼ総入れ替え。英語が達者な人以外は、管理職として残ることができませんでした。当然、Bさんの副工場長という役職も剥奪され、べつの部門に異動となります。彼が副工場長になって3年目のことでした。
異動先の部門で、Bさんが活躍できればよかったのですが、どうも彼の評判はよくありません。
関係者に聞いた話では、彼は全然仕事ができなかったようです。まがりなりにも、副工場長まで登りつめたのですから、私はそれなりに仕事ができると思ったのですが、現実は違っていたようです。
日本企業と外資系企業では、仕事のやり方や評価方法がまったく違うので、彼はその変化についていけなかったのです。
多くの外資系企業では、2~3年連続で最低評価をつけられると、リストラ予備軍になります。Bさんも2年連続で最低評価がついてしまい、会社を辞めることになります。
彼は数年前に定年退職した元上司のツテで、ある会社に転がり込みました。副工場長だったとき、1500万とも2000万とも言われた彼の年収は、今や600万まで落ち込んだということでした。
その会社は県外なので、地元に買っていた自宅と、自慢のBMWは売り払っていったそうです。それからも、たまに風の噂で彼らのことを聞くことがありますが、あまりパッとしません。
恐らく、彼らが再び浮き上がることはないでしょう。
自分の能力を高めず、一部の人間に頼りきっていたため、つぶしがきかないのです。私は彼らを見て、「やはりこういう生き方はすべきではない」とつくづく感じました。
上司の評価より自分の能力を頼みにする
このような例はほかにもいくつかあります。これまでいくつもの会社で出世の構造を見て、私は常々感じていたことがあります。
それは、日本企業における出世競争とは、”ただのゴマすり合戦である” ということです。
私は新卒のころから、いい歳をした大人が、他人の評価をアテにする姿を見て、格好いいとは到底思えませんでした。なにより、自分はあんなことはしたくないと強く感じていたのです。
そのため、若いころから自分の能力を高めることだけを考えていました。そして今現在、そのときの考えは間違っていなかったと実感しています。
国内外からの企業買収、勤めている会社の倒産、リストラなどの人員整理。これからの時代は、多くの人たちが、今まで以上にこのような変化に巻き込まれることになります。
そんなとき、頼りになるのは結局、自分自身なのです。
コスパの悪い出世競争に時間を割くより、自分の能力を高めることを重視しましょう。環境が変われば、その会社での評価などなんの役にも立たないからです。
一つの会社にしがみつく時代はもう終わりました。会社の倒産、買収、リストラなど、常にそれらの可能性を頭において、「こうなったらこうする」「ああなったらああしよう」と考えておかなければなりません。
これからの時代は、常に先を見据えて自分の能力を高め、できる限りの準備をしておくしかないのです。自分の人生を安定させるのは、最終的には自身の能力だけなのです。
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