知識を暗記する秀才、使いこなす天才

「頭の良い人は記憶力がいい」というのは、今の社会では常識です。

たしかに、記憶力がいいことは頭の良さを構成する要素の一つです。しかし、「記憶力がよいと絶対に頭が良いのか?」といえば、必ずしもそうとは限らないのです。

記憶力に頼りきってしまうと、人は考える力を失ってしまうからです。そればかりか、他人の考えに頭を支配されることになりかねません。

今回は、記憶力にたいする秀才と天才の違いについて考えてみます。

受験戦争に潜む単純記憶の習慣化という罠

時代が変わり始めているというのに、いまだに日本では受験を重視する傾向が続いています。

小学校のうちから、子供に塾を掛け持ちさせ、知識を頭に詰め込ませる親御さんは後を絶ちません。自分の子供をいい大学に行かせ、いい会社に行ってもらいたという、せめてもの親心なのでしょう。

私もその親心については否定しませんが、それは親の時代の成功法則であって、これからの時代に通用するとは限らないのです。

恐らく、今の小学生が社会に出るころには、そうした詰め込み型の教育は、あまり役に立たなくなっている可能性が高いと思います。

日本の学校教育や受験教育のほとんどは、ただ単純に教科書の内容を暗記するだけで、テストで高得点を取ることができます。

テストで高得点を取れば、親は喜び子供も嬉しくなるでしょう。そして子供は「物事を覚えることが大事なんだ」と思い込むようになるのです。

もともと、記憶力がいい子供ならなおさらです。大学まではそれでいいかもしれません。

ところが、いざ社会に出てみると、ただ物事を暗記しただけで良い結果がでるほど、甘くはないのです。2020年の現在においても、その傾向は強まっています。

ただ、物事を覚えるだけならコンピューターに任せておけばよいからです。これからの時代は、持っている情報をどう使い、どんな結果を出したかが、今まで以上に問われることになります。

当てはめ思考におちいる受験秀才たち

厳しい受験戦争を勝ち抜いてきた受験秀才たちと接すると、私はしばしば感じることがあります。

それは、彼らの多くが ”当てはめ思考” に陥っているということです。頭の中に人並み以上の知識があるために、人や物事をすぐに自分の中にある知識に当てはめ、判断しようとするのです。

ようするに、すぐレッテル貼りをするということです。これもある意味、受験教育の弊害といってもいいでしょう。なんでも固定された正解という枠に入れ込もうとするのです。

しかし、世の中の事象や人間というものは、一定の答えに当てはまるほど単純ではありません。テストの穴埋め問題とはわけが違います。

状況は常にめまぐるしく変化しますし、人間も成長するからです。ところが、人は一度レッテル貼りをすると、その印象を拭い去るのが非常に難しくなるのです。

とくに、自分は頭がいいと思っている人ほど、その思い込みから脱することができません。

「君子三日会わざれば刮目して見よ」という言葉にもあるように、人間というのは短期間で成長することもあれば、ある日、突然豹変することもありえるのです。

彼らは、そのような人間を目の前にすると、理解不能に陥ってしまいます。答えがない初めての事象に戸惑い、現実を受け入れられなくなるのです。

最初にレッテルを貼ってしまっているため、その後の変化に自分の思考が追いつかないのです。当然、このような硬直した思考は、そのまま物事の判断ミスにも繋がっていきます。

他人の思考という檻に捕らわれた人たち

記憶力が非常によい人によく見られる傾向として、他人の考えに頭を支配されていることがあげられます。この傾向はとにかく記憶力がよく、知識量の多い人ほど顕著に現れます。

人並み以上に勉強し、あらゆる本の内容を暗記しているような人です。彼らとしばらく話をしていると、本人の言葉がまったくないことに気づきます。

彼らは記憶力が良すぎるため、他人の言葉を覚えすぎて、自分がただの代弁者になっていることに気づいていないのです。

そのような人は、「これこそが自分の考えだ!」と力強く主張をしても、その主張が有名な本に書いてあった内容と、まったく同じであることも少なくありません。

これでは、どこまでいっても、他人の思考という檻の中から出ることができなくなってしまいます。

このような状態に陥った人の最大の問題点は、

 独自の理論を構築できない
 新しいモノを創造することができない

ことにあります。

長年、他人からの情報を暗記することに特化してしまったため、本当の思考力というものが養われていないのです。

知識を使いこなす天才たち

世の中には、記憶力が非常によいにも関わらず、他人に頭を支配されない人も存在します。

私は、暗記が得意な人を秀才タイプ、どんなに暗記しても独自の考えを失わない人を天才タイプだと判断しています。

これまで書いてきたのは、秀才タイプの人たちについてですが、ここからは天才タイプについて書いてみます。

まず、天才タイプには次のような特徴があります。

 どんな情報も疑ってかかる
 物事をすぐに決めつけない
 知識は目的を達成するための手段と考えている

知識に対して前向きな疑いを持つ

天才タイプは本や論文に書いてある情報を鵜呑みにしません。それがどんなに権威ある人の情報であったとしても、まずは疑ってかかります。

そして、その結論の前提条件は何かを考えるのです。「この結論は、この状況だと正しいけど、今の現実の状況だと結果は違ってくる」といった具合に。

私が子供のころ、よく親や先生から「人を疑うもんじゃない」と教えられました。

これは「疑うことは悪いこと」という考えが前提にありますが、疑うことは何も悪いことばかりではありません。前向きな疑いというものもあるのです。

たとえば、あなたが「この仕事は完璧だ!」といえるような仕事をしたとしましょう。そのときは、完璧だと思っても時が経てば見方が違ってくることがあります。

後日、改めて自分の仕事を見返したとき、「この仕事は本当に完璧だったのか?」「もっと良くできるんじゃないのか?」といった前向きな疑いは、あなたの仕事の至らない点を洗い出し、さらなる質の向上に繋げていくのです。

物事をすぐ決めつけない

天才タイプというのは、基本的にレッテル貼りをしません。「たぶんこうだろうな」という当たりはつけても、「絶対にこうだ」と決めつけることはしないのです。

なぜなら、彼らは常にべつの可能性を考えているからです。天才と呼ばれる人たちは皆、実践者なので状況は常に変化していることを知っています。

そのため、べつの可能性を排除する決めつけは危険だと考えています。

もし、決めつけてしまえば、想定外の事態が発生したときに対処ができません。だからこそ、柔軟に対処できるよう、物事を決めつけず、あらゆる可能性に思いを巡らせるのです。

知識は目的を達成するための手段と考えている

また、天才たちは自分の目的を達成するために知識を求めます。彼らにとって、知識とは目的を達成する手段、あくまで道具なのです。

そういった感覚なので、いくら知識を持っていたとしても、それを自慢するようなことはしません。道具は使いこなしてこそ、価値があることを知っているからです。

彼らが目的を達成しようとするとき、あらゆる道具を使い、組み合わせ、ときには新しい道具を創りだします。常人より多くの可能性に思いを巡らせているからこそ、それが可能になるのです。

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