私が出世に興味を失った5つの理由

私が社会に出た20年前、男は出世しなければならないという価値観が強い時代でした。

実のところ、社会人になる前は、私もそれが正しいんだと思っていました。

ところが、いざ社会人になってみると、私は早々に出世への興味を失ってしまったのです。なぜなら、私の人生にとって、出世はデメリットの方が多いと感じたからです。

出世をしようとすると、「自分が本当に望む生き方はできないだろう」そう思ったのです。今回は、私が感じた出世のデメリットについて考えてみます。

出世することのデメリット

私が考える出世のデメリットとは、次の5つです。

 ゴマすりが必要
 時間がかかりすぎる
 自由がなくなる
 実務から離れてしまう
 仕事がつまらない

上から順番に解説していきます。

出世にはゴマすりが必要

まず、出世について私が最初に嫌だと思ったのがゴマすりです。

これはどこの会社に行ったとしても、少なからずあることです。正直、自分には合わないと思いました。

私が社会人になって2年目に、30歳くらいの先輩たちが2人、何やら言い争っている場面に出くわしたことがあります。

近くに寄って聞いてみると、「俺は○○部長に好かれている!」「いや、お前より俺のほうが好かれている!」といった、どちらが好かれているかを競う内容でした。

私はこれを聞いたとき、「大の大人が一体なにをやっているのだろう」と思いました。当時の私の目には、それが本当にみっともない姿に映ったのです。

他人の評価を欲しがると、必ず相手に足下を見られます。

上司の顔色も気にしなければなりません。人の顔色を気にしながらでは、本当にいい仕事はできないというのが私の考えです。

なにより、そうやって上司のご機嫌伺いのようなことばかりやっていると、人間が卑屈になります。人間性が歪んで卑屈になるというのは、自分の人生にとって相当なデメリットだと私は考えています。

自分がどうしても嫌だと感じるなら、無理してそれをする必要はないのです。

時間がかかりすぎる

日本のほとんどの会社では、出世に時間がかかりすぎると私は感じています。

たとえば、どんなに出世が早い人でも、最初の役職がつくのは20代後半くらいでしょう。だいたい主任クラスくらいでしょうか。

そして、その次に昇格するにも、また5~10年の年月がかかります。その間、ずっと同じ仕事を続けなければならないのです。

どんどん給料が上がればまだいいのですが、ほとんどの日本の会社では、毎年の昇給が数千円からよくて1万円くらいです。「それなら、能力を上げて転職した方が早い」と私は思いました。

昨今、様々なITツールが開発され、独立起業するハードルも下がっていますから、出世に使う労力を、独立起業の準備に回してもいいかもしれません。収入を得る手段は、今やどこにでもあるのです。

自由がなくなる

これも転職するたびに感じることですが、どこの会社の役職者も業務やルールに縛られて自由がありません。

課長以上になると、もう会社側の人間ですから、プライベートを削ってでも、会社の業務に専念しなければいけない場面がでてきます。

そして、上に行けば行くほど、その頻度は高くなるのです。ほとんどの場合、その束縛に見合った報酬は支払われていません。

もう一つ付け加えるなら、日本の会社では飛び級のような制度が事実上ないのです。

少なくとも、私が社会に出てからこれまで勤務した会社では、一度も見たことがありません。それどころか、どの会社でも、上司は部下が自分を追い抜かないよう評価をつけています。

まず自分が役員まで登りつめ、「無事に引退できたら次は君の番だ」といった具合なのです。まさに順番待ちの構造なのです。

その間、ずっと会社や上司のために働き、精神的・肉体的に自由を奪われるのですから、自分にはどうあっても無理だと感じました。

実務から離れてしまう

これからの時代の考え方としては、ここが一番重要かもしれません。

今現在、人生は80年といわれています。たとえば、35歳で役職がついて実務から離れるとします。そして、定年65歳まで管理職として働き続けたとしましょう。

そうなると、実務から30年離れることになりますから、定年後の実務能力は皆無といっても過言ではありません。普通に考えて、30年前の実務能力など使い物にならないからです。

定年後に十分な預金があるならいいのですが、ほとんどの人は、自分が死ぬまで生活できるほどの貯金は持てないのが現実です。

自分が何か仕事をしないといけなくなったとき、そんな状態ではまともな仕事は見つからないでしょう。「大企業で30年間、管理職をやっていました」といったところで、一度会社から離れてしまえば、何の意味もありません。

管理職の経験より、どんな実務ができるのかを問われるからです。

実務から早く離れすぎることには、そういったリスクがあるのです。これからの時代は、企業買収、リストラ、倒産などで職を失ったとき、自分で何かできるものを持っておかないと、やっていけない可能性が高いのです。

役職がついたことにあぐらをかき、実務能力の研鑽を怠れば、将来的には生活が厳しくなると考えたほうがいいでしょう。

仕事がつまらない

実務から離れることにも関係するのですが、私が見たところ、中間管理職の仕事はどこの会社もつまらなさすぎです。

なぜなら、業務の大半が報告と会議だからです。会議が大嫌いな私にとって、これは本当に我慢できません。どこの会社でも、ほとんどの会議は時間の無駄だからです。

これではいくら給料が高くても、私は1年で飽きて嫌になる自信があります。

そもそも、報告や会議ばかりやっていて、どんな能力が身につくのでしょうか? 人生の大事な時間を報告や会議ばかりに使うこと自体、これからの時代にはリスクしかありません。

以前、カリフォルニア大学の教授、ローレンス・J・ピーターという人が「ピーターの法則」というものを提唱しました。

この法則を簡単に説明すると、「有能な人も出世すると無能化する」というものです。自分のこれまでの社会経験に照らし合わせてみても、この法則は案外的を得ているように思います。

問われる管理職の存在意義

以上5つが、私が出世に興味を持てなくなった理由です。

私も過去に2回ほど主任クラスにはなったことがありますが、その後も継続して出世したいとは思いませんでした。昇給は遅いし、業務も面白くないからです。

正直なところ、「今の時代に管理職など必要ないんじゃないか?」とさえ思っています。

企業がリストラをするとき、まずは給料の高い管理職から切られます。それ自体、管理職が本当は必要なかったという証拠ではないかと思うのです。

それなら、管理職を減らして、平社員全体の給料を底上げしたほうが、みんな豊かになれます。

たしかに、企業規模が大きな会社では、ポイントに管理職が必要かもしれません。何か問題が発生したとき、責任区分の明確化の意味もあるのでしょう。

しかし、それ自体がすでに古い考えなのかもしれないのです。今は色々なITツールもありますから、報告や会議も以前より格段に効率よくできるようになっています。それらを駆使すれば、管理職をもっと減らすことができると思うのです。

また、管理職になる人の適性をもっと見なければなりません。管理職になったとたん、周囲に横柄な態度を取るような人、自分の権限を利用して利益誘導を行う人、自分の仲間だけで周囲を固めようとする人がいます。

そのようなモラルのない人を管理職にするから、企業の不正が後を絶たないのです。

とくに、自分の仲間だけで周囲を固めようとする人は、組織を私物化するタイプと考えて間違いありません。そのような、組織に害悪をもたらす管理職なら必要ないのです。