相談しないほうがうまくいく

「困ったら誰かに相談しなさい」

私が子供のころ、よく親や先生からこのように言われました。恐らく、私以外の多くの人もこのように親や先生から教えられたと思います。ですが、この他人に相談するという行為は、果たして本当に正しい行為なのでしょうか? 私には、この相談するという行為が、必ずしも正しい行為には思えないのです。

相談が癖になると思考停止する

他人に相談することの最大のデメリットは、自分で考えなくなることです。とくに、自分で考える前に、すぐ他人に相談して答えを出そうとする人は要注意です。こういう人は考える力がまったく育ちません。相談することが癖になってしまい、ちょっとでもわからないことがあると、すぐ人に頼るのです。

自分で考えることがないので、ある意味では楽なのかもしれませんが、そのような人は他人の意見に右往左往するようになります。それはすなわち、流されやすいということであり、テレビや新聞などのメディアが扇動しやすい人間になるということです。

流されやすいと、人は常に選択を誤るようになってしまいます。人生の選択は、本来は自分自身しか答えがわからないものです。その重要な選択を、他人や社会の雰囲気に委ねるということ自体、間違いの始まりなのです。

相談しても返答の9割以上は「しないほうがいい」

私があまり人に相談しないようになった原因の一つに、自分が納得する返答が返ってこないという理由があります。私も若いころは、自分が何かをしようと迷っているとき、友達などによく相談していました。ところが、彼らの返答の9割以上は「しないほうがいい」、つまり現状維持の返答ばかりなのです。

こちらは現状を変えたいと思って相談しているのに、帰ってくるのは現状維持や一般論のようなありきたりの返答ばかり。結局、誰も自分の経験がないことはわからないということなのでしょう。だから現状維持やありきたりな一般論のようなことしか言えないのです。これでは相談する意味がないと感じた私は、ある時期から自分の人生の選択に関することは、一切他人に相談しなくなりました。

なぜこのようなことになるのかといえば、これはやはり日本がサラリーマン社会だからでしょう。これまで、何年も一つの会社で勤め続けることが美徳とされてきたため、多くの人が世間知らずになってしまったのです。親の世代からそれが続いているのですから、当然、親も無難な返答しかできません。結局、誰も知らない世界に踏み出すには、勇気をもって自分の責任で物事を考え、自分で判断していくしかないのです。

報・連・相が責任能力と判断力を奪う

人が何かを決めるとき、まず考えて物事の良否を判断し、次に決断、最期に実行するというプロセスを踏みます。実行するには決断が必要です。決断するためには、判断が必要です。そしてこの、判断→決断→実行のプロセスには責任がともないます。つまり、責任を取りたくない人には、物事の判断すらできないということなのです。

多くの日本企業では、「報・連・相」は仕事の基本などといって、新入社員のときから報連相を徹底的に叩きこみます。ですが、よくよく考えてみると、これは自己判断をさせないための仕組みであることがわかります。報連相で自分→先輩→上司と、次々に上役へ情報が昇っていく過程で、責任の所在もわからなくなっていきます。この仕組みが、多くの日本人を無責任にさせ、判断力を奪っていると私は考えています。

たしかに、仕事に報告や連絡、ときには相談も必要でしょう。それは私も理解していますが、どう考えても日本人の報連相は過剰としか思えません。とくに、一部上場企業のような大きな組織になるほど、それが顕著に現れていると感じます。だから40代になっても50代になっても、とにかく責任を回避しようとする人ばかりになってしまったのです。

そうはいっても、会社に勤めている以上、報連相はしなければなりません。そこで、報連相は社内業務の一部と割り切り、プライベートに持ち込まない意思が必要になるのです。報連相はあくまで組織運営の仕組みですから、自分の人生に持ち込んではならないのです。

他人に相談するときの心構え

長い人生なにが起こるかわかりません。とくに、法律などの専門分野については専門家に相談した方がいい場合もあります。そういうときも、最終判断は自己責任が原則です。相談する相手に責任を持たせてはいけません。自分の友達や身内でも同じです。それができないなら、他人に相談はしないことです。

相談される側からすれば、好意で相談に乗っているだけなのに、判断を丸投げされ、責任まで持たされてはたまらないからです。そのような行為は、確実にあなたの人間関係を破綻に導きます。

仮に、相手の意見が間違っていたとして、あなたに何らかの不利益が生じたとしても、相手の責任にしてはいけません。相手の意見を聞いたうえで、最終判断したのは自分なのですから、自分にも責任はあるのです。たとえ相手に明らかな非があったとしても、最終的に自分が判断して実行したのなら、責任割合は五分五分とするべきでしょう。(詐欺は犯罪行為なので例外です)

そうした、「あくまで責任は自分にある」という姿勢が、良好な人間関係を保つ鉄則なのです。

相談するなら判断力のある人

では、実際に相談するならどんな人がいいのでしょうか。一言でいうと、判断力のある人です。判断力のある人というのは、自分の責任で人生を送っている人です。つまり、基本的にはサラリーマンではない人だと考えればいいでしょう。サラリーマンでも判断力のある人はいますが、そういう人は相当レアだと考えて間違いありません。私の見てきた限り、そんな人は100人に1人もいなかったからです。

なので、相談するなら自分で起業しているような人がいいと思います。とはいえ、自分がサラリーマンをしていると、そんな人とはなかなか接点が持てないのが現実です。自分の周囲にそんな人がいないなら、自分で色々と調べて判断するしかありません。幸いにも、今の時代はネットに情報は山ほど転がっていますし、各種専門家の電話相談やメール相談サービスも充実しています。それらを駆使して情報を集め、自分の頭で考えて物事を判断すればいいのです。

相談しないほうがうまくいく

私はここ15年くらいは、仕事以外のことで人に相談したことはありません。相談しなくなってからのことを振り返ってみても、そのほうが人生うまくいくようになりました。最終的には、自分の人生は自分にしか決められないからです。たとえ自分の身内であっても、あなたの納得できる選択をすることはできないでしょう。それなら、自分の責任で物事を判断したほうが納得もできるというものです。

自分の判断や行動に責任を持つということは、ある意味で失敗の痛みを受け入れる覚悟があるということです。失敗したときに痛みがあるからこそ、人は慎重に物事を考えるようになります。自分の人生に対して真剣になれるのです。それでも失敗することはあるでしょう。しかし、失敗しても挫けず新しいことに何度も挑戦することで、次第に判断の精度は上がってくるのです。判断力があれば、物事に迷うことが少なくなってきます。迷うことがないということは、悩みもなくなるということです。悩みがないということは、人生がうまくいっているということなのです。