絶望しない生き方

現代人、とくに若者は絶望しやすいと言われています。私も20代のころ、何度か絶望するような経験をしたことがあります。しかし、年を取るにつれ絶望することはなくなりました。絶望しても仕方がないからです。

今回は、人はなぜ絶望するのか、どうすれば絶望しなくなるのか、について考えてみます。

人が絶望するとき

そもそも絶望とは何でしょうか? オンライン辞書で検索してみると、「希望を失うこと」「すっかり望みを無くすこと」とあります。なんだか、わかるようなわからないような微妙な表現ですね。では、どんなとき人は絶望するのでしょうか? 私なりに解釈すれば、「自分ではどうにもできない状況に遭遇したとき」人は絶望すると思います。

たとえば、好きでたまらない女性にフラれたときなどがそうでしょう。相手の気持が一度離れると、もう自分にはどうしようもできないものです。他にも、実入りの大きな契約が決まりかけた矢先、反故にされる。会社が経営不振で、運良く資金の調達先が確定していたのに、直前になってその話が立ち消えたときなど。こういったとき、人は絶望するのではないでしょうか?

この3つの例には共通点があります。それは、どれも他人に決定権があるということです。他人に決定権がある以上、相手に手の平を返されたとき、自分にはどうしようもなくなります。

ここに絶望しないためのヒントが隠されています。ようは、他人に決定権があることに関しては、必要以上に期待しないようにすればいいのです。「もうこれは確実に決まったな」と思っても、頭の片隅には直前で反故にされるシチュエーションも想定しておくのです。それに加え、反故にされたときはどうするかも考えておくといいでしょう。最悪の状況と対策を想定しておけば、そのときになって慌てることも絶望することもなくなるのです。

これしかない!という考えが人を絶望に導く

中高年世代には、いまだにこのような考え方をしないといけないという人がいます。

 自分にはこの会社しかない!
 自分にはこの仕事しかない!
 自分にはこの人しかいない!

このように「これしかない!」という考え方は非常に危険です。

バブル崩壊後、日本の代表的な企業がこぞってリストラを進めました。終身雇用・年功序列で定年まで保護されると思い、「自分にはこの会社しかない!」と会社に定年まで尽くすつもりだった人たちが、このとき大勢解雇されたのです。彼らの何割かは絶望して自ら命を断ってしまいました。自分がリストラされるなどとは、まったく考えていなかったからです。

これはいうなれば、高いところまで昇っていたのに、急にハシゴを外されたような状態になったのと同じです。降りるハシゴがないのですから、べつの方法を探すか、飛び降りるしかありません。運よくべつの方法が見つかった人は助かりますが、飛び降りた人は、よくて瀕死の重傷、最悪死に至ります。

このとき、べつの方法が見つかった人というのは、事前に準備をしていることがほとんどです。「なんか突然ハシゴを外されそうだな・・・外されたときのことも考えておくか」と、事前に最悪の事態を察知し、べつの方法を模索しているのです。反対に、飛び降りた人というのは何も準備をしていません。つまり、「これしかない!」という考え方は、ここでいう準備をまったくしてない人の思考なのです。

とにかく1つだけにこだわることがよくありません。今は20年前とは、比べようもないくらい変化の激しい時代です。状況は常にめまぐるしく変わっているため、何がどうなるか予測がつきません。人間の価値観も多様化していますから、相手の気持ちがいつ変わるかもわからないのです。そういう意味では、今の世の中に100%確実なものなど一つないのです。

視野が狭いと絶望しやすい

若者が絶望しやすいのは、まだ経験不足で狭い世界しか知らないからです。かつての私もそうでした。ですが、絶望しても仕方がないのです。絶望したところで、何の解決にはもならないからです。それなら、自分を絶望しないように変えていくしかありません。

今の時代には情報が溢れています。私が若いころより、今の若い人たちは、いくらでも手段を持つことができるようになったのです。手段を求め、自分ができることを増やしておけば絶望することなどなくなります。

そういえば、私が中学校くらいまで、テレビで火曜サスペンスという2時間のドラマ番組がありました。その番組では、会社の重役が愛人と逃避行の末、最期の夜を過ごした後、青酸カリを2人で飲んで心中するという結末の作品がありました。

これと似たパターンの作品が他にもいくつかあったのですが、小学校の私にはいまひとつ意味がわかりません。中学校くらいになると、なんとなく事情はわかってきたのですが、私にはなぜ2人が心中するのか理解できませんでした。「2人で心中するくらいなら、どこか遠いところに行って2人で住めばいいのに」それが当時の私の感想でした。その気持ちは、今も変わっていません。

どうしてあのような結末の作品がいくつもあったのか? 大人になった私はふと思い出して考えてみました。恐らくは、「会社の重役という立場上、同じ職場の若い女性との不倫は許されない、それが発覚したら家族にもバレ、私は全てを失う、それならいっそのこと2人で死んでしまおう」と、主人公の心境はこんな感じだったのでしょう。つまりあの作品は、狭い世界での世間体を気にしなければならない、窮屈な当時の世相を反映した作品だったのだと思います。

しかも、そのような作品に感化されたのか、会社の重役が愛人と心中するという事件も実際にあったのです。これも、「自分の居場所は今の会社にしかない」といった強い思い込みが、絶望感に繋がった例かもしれません。

少し視野を広げれば、他にいくらでも生き方はあるのに・・・視野が狭いというのはこのような危険を孕んでいるのです。

自分ができることを増やしておくと絶望しなくなる

私は先に、他人に決定権があるときは、必要以上に期待しないほうがいいと書きました。それでは、期待しないようにするにはどうすればいいのでしょうか? 答えは簡単、自分ができることを増やしておけばいいのです。自分でいくつもの手段を持っておくのです。

自分が色々できるだけでなく、何かを人に頼むにしても、1人ではなく何人か同じことを頼める人を作っておく。サラリーマンであれば、べつの働き方もできるように準備しておく。得意先も1箇所ではなく、何ヶ所かに分散しておくなどです。物事は分散することでリスクを減らすことができます。これからの時代は、常にそのような準備をしておく必要があるのです。

自分がたくさんの手段を持っておけば、必要以上に他人に期待する必要はなくなります。自分でどのようにでもできるからです。また、自分にいくつもの手段という手札があれば、最悪の事態を想定し、あらかじめ対策を考えることができるようになります。「こうなったときはこうする」という対策がすでにあれば、人が絶望することはなくなるのです。