「誰も私のことを理解してくれない」
ときどき、このようなことを言って悩んでいる人がいます。
残念ながら、それは取り越し苦労というものです。他人が自分を理解してくれるという前提がすでに間違っているからです。
私が子供のころ、テレビドラマで「私はあなたのことを分かってる」「あなたを分かっているのは私だけ」みたいなセリフをよく耳にしました。
ドラマであれば格好がつくかもしれませんが、現実でそのようなセリフを言われると、私にはただの薄っぺらい言葉にしか聞こえません。
他人のすべてを理解できる人は存在しない
「私あなたのことを理解している」と軽々しく言う人を私は信用しません。
そういうことを言う人は、大抵は自分が相手に対して持っているイメージで、相手を理解していると錯覚しているだけだからです。
私もこれまで何人かの人から、そう言われたことがあります。ところが、そういう人の理解ほど表面的で的外れなのです。
人から「あなたを理解している」と言われれば、ほとんどの人は悪い気はしないでしょう。
しかし、私は的外れな理解などされたところで迷惑なだけだと思いました。なぜなら、それは単なるレッテル貼りにすぎないからです。
そもそも、他人は自分のことにそれほど興味がありません。これは親兄弟でも恋人でも同じです。
結局のところ、自分以上に自分に興味を持っている人間など存在しないのです。
それどころか、自分のことすら完全に理解できていないのが人間です。自分を理解するというのは、実はかなり難しいことなのです。
本人でさえ、長い年月をかけ色々な経験をし、少しずつ自分というものを紐解いていくことしかできないのです。
自分ですら、長い時と経験を積まないと理解できないことを、他人にやすやすと理解できるわけがありません。
たとえ誰かと片時も離れず生活していたとしても、他人に相手のすべてを理解することはできないでしょう。見えているのは表面だけで、相手の内面まで見通すことは不可能だからです。
人間というのは、見えない部分にこそ本質があります。そして、その目に見えない部分が、その人の9割以上を占めているのです。
もし、誰かがあなたに「私はあなたのことを理解していると」言ったとしたら、それはあなたの一部だけを理解していると受け取ったほうがいいでしょう。
考えてみて下さい、あなたは自分の親兄弟、仲のよい友人のことをどれほど理解しているでしょうか?
そのすべてを理解していると言い切れるでしょうか?
恐らく、どんなに身近にいる人のことでも、完全に理解しているとは言い切れないのではないでしょうか。
自分だって相手のことを理解できない部分があるのですから、他人が自分のことを完全に理解できるわけがないのです。
べつに他人に理解されなくてもいい
そもそも、他人と自分はまったく違う人間です。
親も違えば、生活環境や習慣も違います。たとえ同じ体験をしたとしても、そこで何を考え感じたのか、それらすべてが違うのです。
そこを理解すれば、他人が自分のことを理解できないのは当然だと考えることができます。
他人のことを理解できるところもあれば、理解できないところもある。それが自然なことなのです。それなのに、「誰も私のことを理解してくれない」と嘆くのは無理があるというものです。
「他人は自分のことを理解できない」それを前提に人生を送ると、気持ちが楽になります。
べつに分かってもらわなくてもいいのですから、無理をして自分をアピールする必要もありません。また、自分のことを理解してもらうために説得する必要もないのです。
会社などでは、しばしば上司に自分のことをわかってもらおうと努力する人がいます。
同じ会社組織にずっと居続けようとするなら、それは必要なことかもしれません。しかし、ほとんどの場合、その労力に見合った対価は得られないというのが私が見てきた現実です。
自分と上司のウマが合えば、それなりの対価は得られるかもしれませんが、ウマの合う上司に巡り会う確率は相当低いと思います。ウマの合わない人間に自分を理解してもらうのは至難の業です。
そんなことに労力を使うくらいなら、理解してもらうことなどキッパリ諦めて、仕事に集中した方が自分のためになるのです。
成長意欲の高い人は理解されない
世の中には、自分のことをどんどん成長させたいと考える人がいます。そのような成長意欲の高い人は、基本的に誰からも理解されないと考えた方がいいでしょう。
なぜなら、成長するということは、その人の行動や考え方が定期的に変わっていくことだからです。次々と変わるものに、自分の理解を追いつかせるのは大変難しいことです。
とくに、成長意欲が低い人は成長意欲の高い人を理解することができません。成長意欲の低い人は、成長意欲の高い人の変化に追いつけないからです。
数年も会っていないと、成長意欲の高い人はガラリと変わっていますから、最初の印象とかけ離れていることも珍しくありません。
そうなると、成長意欲の低い人は面食らってしまい「アイツは理解できない」ということになるのです。
もし、成長意欲の高い人を理解できる人がいたとしたら、それはその人と同じように成長意欲の高い人だけです。同じように変化できる者同士でないと、その感覚を理解することはできないのです。
会社経営者などはいい例かもしれません。
経営者はしばしば孤独だと言われますが、これは経営者になる人には、成長意欲の高い人が多いことが原因だと思います。
立場上、下で働く社員より多くの情報が手に入るため、その情報を元に考え方や行動が次々と変化していくからです。
これは悪いことではありません。広範囲から情報を集め、常に視野を広く持たないと、今の会社経営は立ちゆかないからです。むしろ、社員に理解される経営者のほうが少数派でしょう。
他人を無理に理解しなくてもいい
ここまで、他人に理解してもらう難しさについて書いてきました。これは裏を返せば、自分も他人を無理に理解する必要はないということにもなります。
とはいえ、人間関係の基本は相手を理解するよう努めることですから、そういった姿勢は必要だと思います。
私が言いたいのは、相手に理解することが難しい部分があるなら、そこを無理に理解する必要はないということです。
大事なのは相手のことをトータルで見られるかどうかです。理解できる部分もあるけど、理解できない部分もある。その割合のバランスで、つき合うかつき合わないかを決めればいいのです。
自分を理解して欲しい、相手を理解しなければならない、こうした気持ちが強いほど、人間関係には無理が生じます。無理のある人間関係は長続きしません。
ならば、お互いに肩の力を抜いて、「理解できない部分があってもいいじゃないか」と気楽に構えた付き合いのほうが、良い関係を築くことができるのです。