長所だけ伸ばせばいいという嘘

「短所はなおさなくてもいい、長所だけ伸ばしなさい」

何年か前から、このような言葉を目にするようになりました。有名な経営者や学者など、多くの人たちが、こぞって長所だけ伸ばせばいいという主張をしています。

しかし、私はこの主張は間違っていると思います。なぜなら、人生においては、なおすべき短所はなおさないと、目的を達成することができないからです。

長所だけを伸ばせばいいという人たちの論理

長所だけ伸ばせばいいという人たちの主張は、たいていこんな感じです。「短所をなおすには時間と労力がかかる、だから短所をなおす時間と労力を長所を伸ばすために使ったほうがいい」

一見すると、合理的なように思えますが、私は以下の観点から短所もなおす必要があると考えています。

 自分の目的を達成するために短所をなおさなければいけないこともある
 短所が長所の足を引っ張ることがある
 弱すぎる部分があると足下をみられやすい
たとえば、経営者がそのようなことを言う場合、ただ経営のことを考えて言っているだけで、個人のことを考えて言っているわけではありません。
経営であれば、「短所をなおす時間があれば、長所を活かして結果を出せ」という論理になるからです。つまり、ずっとサラリーマンとして働いて欲しいと考えている側からすれば、そのほうが都合がいいのです。
自分の短所をなおすというのは、ときに精神的・肉体的な苦痛をともないます。できるだけ苦痛を経験したくないというのは人間の性なので、「短所などなおさなくていい」という耳当たりのよい言葉を聞くと、人はついそれに賛同してしまうのです。
言葉というのは、それ自体が常に正しいわけではありません。人によって解釈も違ってきますし、その言葉が自分に必ずしも当てはまるとは限らないのです。

短所をなおさなければ目的は達成できない

そもそも、短所とはなんなのでしょうか? オンライン辞典で調べてみると、短所とは「ほかとくらべて劣っているところ、不足しているところ。欠点」とあります。欠点というのは、不備、不十分なことの意味です。

そうなると、勉強ができないこと、体力が人よりないこと、身長が低いこと、なども短所ということになるでしょう。

たとえば、あなたに好きな女性がいたとします。ある日、あなたは勇気を振り絞って彼女に告白します。あなたは彼女から「私は英語の話せない人とはつき合いたくないわ」と言われたとしましょう。

そこで、「自分には無理だ」と諦めてしまえばそれまで。しかし、「英語は苦手だけど、彼女をモノにしたい」と考え、嫌な英語の勉強と彼女をモノにしたいという気持ちを天秤にかけ、彼女の方が重ければ、あなたは自分の短所を克服する決断をするはずです。

そうして、自分の短所を克服した人だけが、目的を達成することができるのです。

実際、これまでの私の人生でも、本当に自分の得意なことばかりやって目的を達成した人など、ただの一人もいませんでした。

誰もが苦手なことや嫌なことをときには経験しながら、自分の短所を克服し、目的を達成しているというのが現実だったのです。

弱すぎる部分はあなたのアキレス腱になる

私がもう一つ思うのは、人間弱すぎる部分は作らないほうがいいということです。あまりに弱い部分があると、その短所がときに長所の足を引っ張ることがあるからです。なにより、他人から足下を見られやすくなります。

たとえば、あなたが高度なプログラミングスキルを持っていたとしましょう。プログラミングの腕は他の追随を許さないほど凄くても、コミュニケーション能力があまりに低すぎると仕事にはなりません。少なくとも、周囲とトラブルにならない程度のコミュニケーション能力はつけなければならないのです。

また、世の中というものは善人ばかりではありません。なにかにつけて、人の弱みにつけ込み、他人をコントロールしようとする輩がいつの時代にもいるのです。あなたに腕力や度胸がなければ、暴力的な脅しをかけてくる人間もいるかもしれません。あなたが世間知らずなら、あなたの無知につけ込んで騙そうとする人間も存在するのです。

そういった意味で、「ここを突かれたらどうしようもない」という部分はない方がいい、というのが私の考えです。

短所をなおすことも成長のうち

人には誰でも一つではなく、いくつかの長所があります。それと同じように、短所も一つではなく、いくつかはあるものなのです。すべての短所をなおすことはできませんが、自分の目的を達成するための障害になる短所はなおす必要があります。

今、世の中で成功者と呼ばれている人たちも、よくよく話を聞いてみれば、「私も最初はこれが本当に苦手だった、嫌だった」という話がいくつかはあるものです。彼らは、自分の目的を達成するために、自分の短所を克服することで成功に繋げていったのです。

とかく、多くの人たちは、自分の得意なことばかりやって、苦手なことをしようとしません。そのための言い訳などいくらでもあるのです。私が若いころ、とにかくよく聞いた言葉が「私は文系だから」「私は理系だから」というものです。

私も高校までは文系でした。その後、地元でコンピューターの専門学校に入り、社会に出てからは製造業界に就職することになります。製造業界というのは、完全に理系の分野ですから、高校まで文系だった私は、慣れるまで非常に苦労しました。

理系的でロジカルな思考ができないと、そもそも仕事にならないのです。単純作業しかできないと、当然のことながら高度な仕事は任せてもらえません。高度な仕事ができないと、給料も上がらないので、当時の私は必死になって勉強しました。

たしかに、慣れるまで何年もの時間がかかりましたし、精神的にも大きな負担がありました。ですが、若いころにあのような苦労を経験しておいて本当に良かったと、今になって思います。

やはり人間、甘いことばかりしていてはいけません。ときには精神的、肉体的に厳しい状況を経験することも必要なのです。「楽して結果など出ない」とよく言われますが、私自身の経験からも、これは本当だと思います。

若いころから楽な道ばかり歩んできた人は、いざというときに踏ん張ることができません。すぐにその状況から逃げ出してしまうのです。逃げてしまえば、自分に変化も成長もありません。当然、そんな人には結果も出せませんし、成功もおぼつかないでしょう。

自分の短所をなおすことも、また人間の成長のうちなのです。