「量は質に転化する」
あらゆる場面に使われる言葉です。誰もが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
多くの人はこの法則が真実だと考えていると思います。かつての私もそうでした。
しかし、社会人を長くやっていると、この法則に当てはまらない人が結構いることに気づきます。人によって、量が質に転化するケースと、しないケースがあるのです。
この違いは一体なんなのでしょうか?
同じ仕事を10年以上やっても質にならない人
私がまだ社会に出たばかりのころ、同じ仕事を10年もやれば、誰でもそれなりに高い技能を持つようになるだろうと考えていました。
ところが、何年も社会人をやって色々な経験を積んでいくうち、同じ仕事を10年以上やっているのに、技能が低い人がいることに気づいたのです。
「なぜ彼らは仕事の質があがらないのか?」私は考えました。そして、量が質に転化しない人には、次のような特徴があることに気づいたのです。
言われたことしかしない(完全受け身)
向上心がない
これらを一言で表現すれば、
量が質に転化しない人というのは、自分の人生に主体性がないということになります。
自分にやりたいことがない、だから自分から動こうとは思わない。そんな人間に、質のいい仕事をしようという気持ちは起きません。
だから同じ仕事を何年続けても、質が良くならないのです。
まれに、上記3つに当てはまっていないのに質が向上しないと思われる人もいます。そういう人は、その仕事に対するセンスがない、その仕事に向いてないということになります。
それはそれで、違う仕事を見つけたほうがいいでしょう。その方が、本人のためになります。
量が質に転化する人
翻って、量が質に転化する人は、主体性のある人生を送っています。彼らは、自分の人生に明確な目的があり、その目的達成のために質を高めようとするのです。
たとえば、「お客さんに喜んでもらいたい」「もっと高い価値を提供できるようになりたい」、あるいは「もっとお金を稼ぎたい」でもいいでしょう。
そうした明確な目的意識が、質を高めるためのモチベーションになるのです。
一昔前は、「ただがむしゃらになってやれば質は高まる」と言われていましたが、目的意識もなくただがむしゃらにやっても質は高まりません。
目的意識があると、同じ作業をしながら様々なところに気を配るようになります。一つ一つの作業をこなしながら、「次の作業ではここを意識して改善してみよう」と考えるのです。
しかし、目的意識のないがむしゃらは、何も考えずただ同じ作業を繰り返すだけです。そこには、なんの改善もなく、結果として質の向上もないのです。
楽しみながら打ち込めることほど質が向上する
日本人は、もともと質に対して高い関心を持っている民族です。それは、物事へのこだわりという形で表れます。マニアやオタク、職人と呼ばれる人たちを見ればわかるでしょう。
彼らの細部へのこだわりようは、もはや平均的なレベルを遙かに超えています。
先日、家の近くのリサイクルショップに行ってきました。そのリサイクルショップには、私はよく出入りするのですが、その日は、なんとなく普段と行動を変えてみようと思い、いつもとは違うコーナーに立ち寄ったのです。
立ち寄ったコーナーはフィギュアのコーナーでした。私はあまりフィギュアに興味がなかったので、それまで気にしていなかったのですが、最近のフィギュアの質は、私が学生のころとは比較にならないほど高まっていると感じました。
とくに、アニメや漫画の女性キャラのフィギュアの完成度はとんでもないレベルだと感じます。「なんだこれは・・・!」私は驚愕しました。鮮やかな色彩、今にも動き出しそうな躍動感、息づかいさえ聞こえてきそうなリアルさ。
私が学生のころのフィギュアといえば、色は単色、よくても2~3色で、フィギュアにはどこかしこにプレスした継ぎ目がありました。キャラの顔もアニメや漫画のそれとはずいぶんと違っていました。今のフィギュアには、そんな雑な部分は見る影もありません。
恐らく、フィギュアを作った職人さんは、楽しみながらやっているのではないかと想像しました。楽しみながらやれることに、人は苦痛を感じません。苦痛を感じないから、膨大な時間と労力をかけても、どこまでも細部にこだわることができるのです。
彼らは、質の高いフィギュアを製作することが、自分の使命だと考えているのかもしれません。そこまで打ち込めるものを見つけられると、「その人の人生は幸せだろうな」と思います。
フィギュアだけではありませんが、彼らのような人たちこそ、「量は質に転化する」を体現しているのではないかと思った次第です。