年上というだけで敬うな

世の中には様々な常識と呼ばれるものがあります。

私としては、常識とはそれに沿って生きていけば、最低限の社会性が保てるガイドラインだと考えています。ですから、常識があること自体は悪いことではありません。

とはいえ、常識と聞くと、あまり良い印象を持たない人もいるかと思います。常識は縛りになるためでしょう。ただ、常識というのも、時代によって移り変わります。

時代に合わない常識をいつまでも引きずっていると、他人から煙たがられることになります。
そういった古い常識の一つが、「目上の者は敬え」ではないでしょうか?

ただ年をとっただけの人間を敬う必要はない

私がまだ学生のころ、人間は誰でも年をとっていれば、それなりに一家言持つようになるものだと考えていました。

ところが、実際に社会に出てみると、そんな人ばかりでないことに気づきます。

いや、むしろ一家言持つような人のほうが少数派だったのです。そして、多数派の良識のない人たちには、ずいぶんと嫌な思いをさせられてきました。

彼らの多くは、ただ自分がやってきたというだけで、同じことを私たちにさせようとします。そこには、論理的な根拠も、善悪正邪の判断もありません。

ようするに、思考停止しているのです。彼らが言うことの中には、明らかに道徳観が欠如しているものもありました。それでも、言うことを聞かないと、彼らから嫌がらせを受けるのです。

私は思いました。いくら年を重ねても、バカはバカなんだと。
同時に、私は「年をとっただけのボンクラなど敬う必要はない」と強く思ったのです。

尊敬の気持ちは強制されるべきではない

そもそも、相手を敬う気持ちとは、自分の中から自然に湧いてくるのものであって、強制されるべきものではないはずです。そう考えると、「目上の者を敬え」という言葉がどれだけおかしいかわかります。

他人が言うならまだしも、自分でそれを言っている年寄りを、今でもみかけることがあります。彼らの頭は一体どうなっているのでしょうか?

私は今年で44歳になりました。年齢的には中年と言われる世代です。人によっては、もう年寄りの部類に入っていると考えるかもしれません。初老といってもいいでしょう。

そんな私が考えても、明らかに「目上の者を敬え」というのはおかしいと感じています。
というか、自分で「目上の者を敬え」って恥ずかしくないでしょうか?

少なくとも、私は恥ずかしくて、自分からそんなこと言う気にはなれません。自分から相手に尊敬を強制するのですから、相手にとってこんな迷惑なことはないでしょう。

そういうのを恥知らずというのです。それ以前に、私は他人に尊敬されたいとか、そういう気持ちにもなれません。尊敬するもしないも、その人の自由だからです。

尊敬する人を選べないから今の日本はおかしくなった

今の日本という国を見てみましょう。どこの組織も、上層部は50歳以上の年寄りで占められています。さて、今の日本は良い状況といえるでしょうか?

それを考えれば、今の年寄りが尊敬に値するかどうかわかるのではないでしょうか。もちろん、中には年相応の実力や人格を身につけた人もいるでしょう。

しかし、私が見てきた限り、そういう優れた人は、組織では排除される傾向にあります。反対に、権力を欲する人間にはロクな人間がいませんでした。

そのため、自分の劣等感を補うために権力を欲する人間から、真に優秀な人間は恐れられ、排除されるのです。これが今の世の中の構造です。

排除された有能な人、あるいは嫌気が差して組織から飛び出した人は、ほとんどの場合、自分でビジネスをすることを選択します。もともと実力があるわけですから、自分でビジネスを始めることができるのです。

話してみればわかりますが、そういう人は尊敬に値する人が結構います。実際に苦労しているため、物事の道理というものをわきまえています。

だから、自分の考えを無条件に若者に強制することをしないのです。

サラリーマン社会の悲劇

そうはいっても、残念ながら今の日本はサラリーマン社会です。労働人口の9割がサラリーマンですから、会社でやっていくには、表面だけでも目上の者を敬う必要がでてきます。

これが、悲劇の始まりなのです。

ただ年をとっただけで頭の悪い人は、表面的な尊敬を真に受け、自分のやっていることは正しいと信じ込むことになります。そうして、どんどん誤った方向に進んでいくのです。

本人には判断力などありませんから、自分が間違った方向に進んでいることにも気づきません。それを指摘すれば、今度は指摘した人が嫌がらせを受ける始末です。

誰でも嫌がらせを受けるのは嫌ですから、そんな人でも表面上、尊敬の姿勢をみせ、合わせることになります。その結果、勘違いした年寄りを量産してしまったのが今の日本社会なのです。

尊敬する人を選ぶ時代

そんな日本にも、最近やっと明るい兆しが見えてきました。40~50代のリストラが加速し、実力のない中高年が一掃されてきているからです。

職場におかしな年寄りがいなくなれば、それまで暗かった職場の空気も少しは明るくなるでしょう。若者の仕事も、これまでよりやりやすくなるはずです。

「目上の者を敬え」という言葉も、死語になりつつあります。本来はそれが正しい姿であって、これまでがおかしかったのです。

ただ年上というだけで、無条件に尊敬しろなど、中学の部活動レベルの話です。いや、最近では中学の部活動でも、そんな低レベルなことはしないかもしれません。

尊敬する人は、やはり一人一人が選ばなければなりません。

これからは、本当に尊敬に値する人だけ尊敬されるようになっていくでしょう。ただ年をとっただけで偉いなどというのは、何の根拠もない空理空論でしかないのです。

本当に人格や思想が優れた人が尊敬される社会になれば、いづれ社会の上層に優れた人たちが集結し、社会全体が良くなっていきます。

それが10年先か、20年先かわかりませんが。できれば、私が棺桶に入る前に、もっと良くなった日本社会を見てみたいものです。