もっと生意気になろう

あなたは生意気と聞くと、どんな印象を持つでしょうか?

生意気と聞いて、あまり良い印象を持つ人は少ないのではないでしょうか。しかし、これまで世の中を変えてきたのは、例外なく生意気な人間であるという事実を知らなければなりません。

私は、今の日本人はあまりにも大人しすぎると感じています。従順な人間ばかりの社会に発展はありません。私たちはもっと生意気になっていいのです。

本物の生意気と偽りの生意気

「日本人はもっと生意気になっていい」私はそう思うのですが、注意しなければならないのは、偽りの生意気ではダメだということです。

私が社会に出てから感じたのが、今の世の中には、偽りの生意気が蔓延しているということです。偽りの生意気とは、信念がなく権力や金にすぐなびくような人のことです。

彼らは一見すると生意気なように見えます。ですが、よくよく彼らを観察していると、自分より強い者にはへつらい、利益をちらつかせれば、すぐ自分の意見を引っ込めます。

このように、権力や利益に弱いことを、偽りの生意気と私は読んでいます。そもそも、自分より目下の者、弱い者に強くでるなど誰にでもできます。

彼らは外見上、強そうに振る舞っていますが、心の底では自分が傷ついたり、損をしたりすることを人一倍恐れています。彼らの行動を観察していれば、それがよくわかります。

なるなら本物の生意気になろう

翻って、真に生意気な人間は、自分に信念があります。自分の中に譲れない一線を持っているので、その一線を守るためなら、権力や利益にも屈することがありません。

彼らが最も重要視するのは、自らの理想や本質です。それを追求するためなら、目上の者にも盾突くこともありますし、あえて損を選ぶこともあるのです。

目先の利益を追わないため、彼らが結果を出すには、ときとして人より時間がかかることもあります。しかし、目先の利益を追わない彼らだからこそ、結果を出したとき圧倒的な成果を出せるのです。

彼らは権力や利益にゆらがないため、判断の目が曇ることがありません。どんなに権威のある人、有名人の言うことであっても、先入観を持ちません。

だからこそ、本当に正しいこと、誤っていることの判断ができるのです。

なんでも刃向かうことが生意気なのではない

あと、勘違いしてはいけないのが、誰にでも盾突くことが生意気ではないということです。最近はあまり見かけなくなりましたが、私が若いころは、なんでもかんでも刃向かう人がたまにいました。

それがたとえ上司や先輩であっても、彼らはことあるごとに不満を持ち、相手と不要な衝突を起こすのです。私より上の世代が若いころ、こうした勘違いな人がときおり見受けられました。

こういう人は生意気なのではなく、ただ好戦的なだけ、自分の力を誇示したいだけ、または単純に頭が悪いかのどれかです。

生意気というと、いつも誰かと衝突している印象を持つ人もいるかもしれません。たしかに、それも生意気と言えるかもしれませんが、生意気な人にも思慮分別のある人はいるのです。

思慮分別のある生意気は、普段は職場の同僚や上司と協調します。そして、道義に反していることや、自分の信念に反していることに関しては、強く反発するのです。その相手がたとえ、会社の幹部であったとしても。

上司でも後輩でも正しいことは正しい、間違っていることは間違っているのです。その判断がちゃんとできるのが思慮分別のある生意気というものです。

生意気だから結果が出せる

世の中を見渡してみても、圧倒的な結果を出したのは生意気な人間ばかりです。私自身が見た限りでも、みんな自分の意見がハッキリとしており、大事なところは曲げようとしません。

かといって、相手の意見を頑なに拒むわけでもないのです。相手の意見に納得すれば、「その通りだ!」と認められますし、すぐに自分のやっていることに取り入れようとするのです。

生意気というのは、態度が偉そうだとか、素行が悪いとか、そういった表面上のことだけではないのです。ところが、昨今の日本社会では、自分の意見を言うだけで生意気と判断されることすらあります。実におかしな話です。

自分の意見を持って一体何が悪いのでしょうか?

自分の意見を持たぬ者に、現状を改善することなどできませんし、新しいモノやサービス、仕組みを考えることはできません。

自分の考えがあるからこそ、あらゆるものを疑い、他人が見落とす盲点に気づくことができるのです。そして、そういう人材を活用できないと、今後の日本に未来はないのです。

もし、あなたが、将来的に自分で何かをしたい、会社の仕事でもっと成果を出したいと考えているなら、もっと生意気になりましょう。自分の意見をしっかりと持って、すぐに引っ込めないようにしましょう。

それはときに衝突を生みますが、意見の衝突なくして新しいものは創造できないのです。波風の立たないところは居心地がいいかもしれませんが、そこにあるのは現状維持だけです。

変化のないところに発展はなく、発展のないところに明るい未来はないのです。

これからの社会は、個人で仕事を始める人も増えていくことになるでしょう。たとえ個人でも、起業の世界では生意気な人間しか生き残れません。

生意気だからこそ、人と違った考え方ができ、人が出せない結果を出すことが可能になるのです。それは本来、サラリーマンでも同じことなのです。

これからは、生意気な人間を使いこなせた組織だけが大きな利益を生み出し、また生き残ることができるのです。それはすなわち、日本にももっと生意気な人材が必要になるということです。

これまでは日の目を見ることのなかった人たちが、活躍できる社会になってきたのです。これからの社会で、我々日本人は、もっと生意気になるべきなのです。