尊敬も過ぎれば盲信になる

あなたは他人を尊敬することについてどう思いますか?

私たちは、小学校のころから「偉い人は尊敬しなさい」とか、「尊敬する人は誰ですか?」といったことを言われてきたと思います。人を尊敬することは悪いことではありませんが、それも程度の問題です。

私はあるときから、他人を尊敬することについて疑念を抱きはじめました。その疑念は年を追うごとに強くなり、今では理由もはっきりとわかるようになってきたのです。

過度の尊敬は盲信に繋がる

私が尊敬について疑念を抱きはじめたのは、子供の頃からときどきあった新興宗教の事件、会社組織や上司を盲信する社員たちの存在があったからです。

「彼らはなぜそこまで他人の言いなりになるのか?」私は不思議でなりませんでした。一見すると、指示する人と実行する人の間には信頼関係があるように見えます。

指示される人も「○○さんを尊敬しています」と言うことがあります。私はそこに違和感を覚えました。少なくとも、自分には彼らに本物の信頼関係があるようには見えなかったのです。

カリスマと呼ばれる経営者の手足となって働く人、はたまた怪しい宗教の教祖に滅私奉公する人。ああいう人たちを見るにつけ、私は危なっかしさを感じずにはいられません。

彼らは、尊敬する人からの指示を全て真に受け、正しいことだと判断しているようです。つまりは盲信です。これは非常に危ないことです。

歴史上の様々な猟奇的事件、悲惨な事件を振り返ってみれば、そこには必ず盲信する人の存在があります。盲信した人は、自分で善悪の判断ができないため、ときに大事件を起こすのです。

昨今の日本社会を見ても、会社や上司を盲信することによって、最終的に事件になっていることはいくらでもあります。

それらを鑑みるに、「尊敬は盲信に繋がるリスクを孕んでいるのではないか?」と私は思わざるをえないのです。

偉人に幻想を抱かない

人間というものは、どんな優れた人にでも一長一短があります。ですから、本来はその人の全てを全面的に信頼するものではないのです。

「その人の全てを信頼している」このような言葉は、一見すると美しく映るかもしれません。しかし、それは自分で物事を考えず、誤った方向に突っ走る危険性があることを理解しなければならないのです。

学校では、教科書に載っているような偉人を尊敬するよう言われることがあります。日本人は偉人に対して、高潔な人格者なんだろうという幻想を抱きますが、それは間違いです。

偉人と本性のギャップ

2つほど例をあげてみましょう。

伊藤博文:千円札にも描かれている言わずと知れた日本の偉人です。明治時代に内閣総理大臣を歴任し、優れた功績を残しました。

ただし、彼には大変女癖が悪いという欠点があったのです。そのあまりの女癖の悪さは、総理大臣在任中であるにも関わらず、破産して家を失うほどでした。明治天皇から「何度言ったらわかるんだ!」と叱責を受けたほど。

それに対して伊藤は陛下にこう返したといいます。「名誉もいらぬ金もいらぬ、私はただ女遊びができればそれでよいのです」これには明治天皇も呆れて言葉を失ったそうです。

 

シェイクスピア:後世に残る名作を次々と世に送り出した劇作家。彼の作品は今でも多くの人々から高い評価を得ています。

ところが、一皮剥けばこのシェイクスピアにも大きな欠点があったのです。彼はとんでもなく金に汚い守銭奴であったと、近年、英国の研究チームが発表しています。

その内容は、自らの作品であるベニスの商人顔負けであったとか。なるほど、自分がとんでもない守銭奴であったから、あのような作品が書けたわけですね。

どんな人でも結局は同じ人間である

このように、歴史に名を残すような人であっても、それなりに欠点があるのです。それを知れば「なんだ、彼らだって自分と似たようなものじゃないか」と思えるのではないでしょうか。

自分たちと同じで、「良いところもあれば悪いところもある」そう考えれば、人を過度に尊敬することなどなくなるはずです。尊敬するのは、その人の能力や業績といった部分だけでいいのです。

私も若いころ、本を読んで感銘を受けた著者を何人か訪ねたことがありました。凄い人だと思って実際に会ってみると、「・・・なんだ、俺らとたいして変わらないじゃないか」と幻滅したことを覚えています。

しかし、それは彼らが悪いわけではなく、自分が彼らのイメージを作りすぎていたのがいけなかったのです。彼らだって私たちと同じ人間ですから、過度に期待するほうが悪いのです。

中にはお金や権力ばかり欲しがっていたり、イエスマンで周囲を固めていたりした人もいました。このときの体験から、私は「人間などそこまで尊敬するものじゃない」と感じたのです。

不遜な感じがするかもしれませんが、私はそれでいいと思っています。

世の中には、カリスマだなんだと持ち上げ、一般人とは違う人なんだと騒がれることがあります。それも結局、金儲けのための演出であることがほとんどです。

偉人だ、権力者だ、有名人だと言ったところで、彼らも自分たちと同じ人間。そう考えることができれば、先入観を持たず、彼らの言うことが正しいのか間違っているのかを冷静に判断できるようになります。

日本人は権威に弱いといわれていますが、権威というのも尊敬などの感情によって先入観が生まれた結果です。それは私たちの判断の目を曇らせ、ときに自分の人生を誤った方向に導きます。

尊敬のリスクは一人一人が理解しなければなりません。人間には光もあれば影もある、そう考え、どんな人でも冷静に判断することが必要だと私は思います。