怒ったときに人間性がわかる

人間というのは誰しも、経験を積むと他人を判断するための基準を持つようになります。

もちろん、私も人を判断するための基準をいくつか持っています。その中の一つが、誰かが怒っているとき、「この人はなぜ怒っているのだろう?」と考えてみることです。

怒りは人間の感情を直接的に表現するため、その人の本質が現れやすいのです。

怒ることはべつに悪いことではない

ほとんどの人は、怒りという感情をネガティブな感情に分類すると思います。たしかに、つまらないことでいつも怒っている人をみると、誰しもうんざりすることでしょう。

しかし、怒りにも正しい怒りと身勝手な怒りがあるのです。正しく怒ることで、問題が明確になり、物事が解決や修正に向かうというのはよくあることです。

翻って、身勝手な怒りというのは、周囲の人を不快にさせるだけです。物事を解決に導いたり、前向きな議論に発展することがありません。

私が人を判断するとき、「その人が何に対して怒っているのか?」、「その怒りは身勝手な怒りではないか?」、この2つに着目するようにしています。

身勝手な怒り方しかしない人とは距離をおく

では、身勝手な怒りとはどのようなことをいうのでしょう。私たちが社会生活を送っていると、よくあるのが次のようなことです。

 他人が自分の思い通りにならないと怒る
 自分のことは棚上げし、他人に対してだけ怒る
 他人がうまくいくと不機嫌になる
 自分にも非があるのに100%相手が悪いと言い張る

どこの職場にも、このような人が1人や2人は必ずいます。

 

彼らは、常に自分のことしか考えられないため、他人のことまで気が回りません。自分の態度が相手に与える影響がわからない、相手からどう思われるかも想像できないのです。

そのため、他人に対して譲ることがなく、自分の周りからどんどん人が離れていくのです。

私は、基本的にこのような人とはつき合わないようにしています。彼らのような人間と一緒にいても、利用されるだけで自分には何の得もないからです。

彼らは、いわば他人の運を吸い取るような類いの人たちです。つき合えばつき合うほど、自分の運も悪くなっていくのです。

サラリーマンをしていると、上司がこのような人であることも少なくありません。そんなとき、間違っても気に入られようなどと下心を持って、近寄ってはいけないのです。

さもないと、ただ自分の運を吸い取られ、気がつけば自分が損ばかりしていたということになりかねません。

正しく怒ることができる人は真っ直ぐな人

では、正しい怒りとはどういうものかについて考えてみましょう。私たちの身近にある例としては、次のような感じではないでしょうか?

 上司の理不尽な嫌がらせに怒る
 客の横暴な態度に怒る
 人の誠意を踏みにじる行動に対して怒る
 不道徳な行為に対して怒る
 みんなの利益が害されたときに怒る

こうした怒りは人として当然のことなので、悪い怒りではありません。

むしろ、こういうときは誰かが怒らないと、物事が修正されないのです。こういうときは、堂々と怒りを表現してもよいのです。

 

もう少し具体的に例をあげてみましょう。

 顧客が契約した金額から勝手に20%値引きした金額しか支払おうとしない
 顧客が自社の機密事項を無許可で他社に譲渡し謝礼として金銭を受け取った
 経営者が難癖をつけて従業員に給料を払わない
 役員は多額の報酬を受け取っているのに従業員を大量にリストラする
 上司から毎日執拗な嫌がらせを受ける

このようなとき、誰かが怒らないとどうなるでしょうか?

 

恐らく、相手はますます増長し、自分たちの不利益はどんどん拡大していくでしょう。会社ならいづれは倒産、競合他社へ身売りすることになります。

近年は外資系企業の日本進出も活発になっているので、海外の企業から二束三文で買収されるかもしれません。

ですから、このような理不尽に直面したとき、ちゃんと怒ることができる人が世の中には必要なのです。そういう人がいるから、ことが問題視され、状況が改善に向かっていくのです。

しかしながら、今の日本のサラリーマン社会を見ているとどうでしょうか? 「どんなに虐げられても我慢するのが社会人だ」という誤った認識がいまだに多くの企業で見られます。

それどころか、「理不尽に声をあげる人間は扱いづらい」と不遇な扱いを受けることも少なくありません。そうして、理不尽に怒ることができるまともな人間は、いづれその会社からいなくなっていくのです。

理不尽に怒りを向けられる人は真っ直ぐな人です。真っ直ぐな人が一定数いるから、組織や社会のモラルが保たれるのです。

今の世の中、理不尽なことなど山ほどあります。真っ直ぐな人たちは、その理不尽にいつも怒っているため、怒りっぽい人というレッテルを貼られてしまうこともよくあります。

ですが、ここで一歩引いて彼らの行動を見てみると、彼らがさほど悪い人間でないことがわかります。彼らのほとんどは、自分の利益のためではなく、公共の利益、周囲の人たちの利益を考えているからです。

無条件に「怒り=悪」とは決められないのです。私たちは、そこを見誤らないようにしなければなりません。

もし、あなたの近くで誰かが怒っているなら、その人の怒りがどこから来ているのか考えてみましょう。そうすることで、その人の本質に近づき、正しく人物を判断できるようになっていきます。

たとえ正しくとも怒りをあらわにする人は、今の社会では誤解されることが多いのです。実際につき合ってみると悪い人ではないことがほとんどですが。

人生はいかに良い人とつき合えるかで大きく変わってきます。怒りというネガティブな側面だけに目を向けず、その怒りがどこから来ているのかに目を向けてみることです。

そうすることで、あなたが本当につき合うべき人がわかるようになるはずです。