「本当に考える力が欲しい」このように考えている人は結構いると思います。
かつての私もそうでした。そう願い続け、もう20年以上になるでしょうか。若いころに比べると、そこそこ考える力はついたと思っています。
そんな私が、これまでいくつもの会社を転々としてきて、色んな人と出会ってきて気がついたことがあります。それは、「本当に物事を考えられている人は案外少ない」ということです。
知識がある=考える力があるとは限らない
私たちは日々、ネットで多くの情報に触れることができます。Youtubeなどの動画サイトでも、多くの知識人が自分の主張を披露しています。
私もYoutubeで色々な動画を見て、自分の見聞を深めるようにしています。その中で、知識豊富な人には大きく2つのタイプがあることがわかります。
タイプ1:本や論文で得た知識をそのまま話している人
今の日本の知識人の9割は、このタイプ1に分類されると私は感じています。
数年前からネット界隈でよく聞く言葉が「○○の論文に書かれていた」といった言葉です。とくに、海外の有名大学の論文がよく引用されることが多いようです。
彼らは、世界中の論文を読みあさり、「こういった研究がある」「ああいった研究がある」と論文の内容について説明します。
次から次へと言葉が飛び出し、見ている側からすると、さぞかし頭のいい人なんだろうという印象を与えます。
自分の知らない知識が得られるという点において、それはそれで価値のあることだと思います。
ただ、彼らのような人たちの話を聞いていると、ほとんど自分の考えがないことがわかります。
彼らのような人たちの問題点は、新しいモノや理論を創り出すことができない点です。他人が先に提示してくれた知識がなければ、彼らは何も考えることができません。
そのため、どこかで聞いたことのある言葉しか出てこないのです。
これは、パソコンでいえば、記憶したデータをただHDDから取り出して表示するのと同じことです。情報処理としてはさほど複雑ではないことがわかるでしょう。
タイプ2:知識に自分の経験や価値観を加え独自の理論を構築している人
翻って、得た知識に自分の体験や価値観を加え、独自の理論を構築している人もいます。
彼らのような人たちの話は、どこかの本や論文に書かれている内容とは違い、オリジナリティがあります。その人からしか聞くことができない言葉があるのです。
また、このような人たちの論理は、具体的で実用性があります。
知識というのは、結局のところ使わなければ意味がないことを彼らは知っているのです。知識は実際に使ってこそ、現実を変えることができるのです。
これは、パソコンでいえば、記憶したデータをHDDから取り出し、さらに処理を加えて新しい情報に変えることに当たります。
たんにHDDからデータを取り出して表示するより、複雑な情報処理が必要になることがわかるでしょう。
彼らのような人たちは、新しいモノや論理を創り出すことができます。これが本当の思考力というものです。
MBAで学んだ権威付けのテクニック
私は、34歳のときに半年だけ社会人大学院でMBAを学びました。そのとき、ある講義で自分の論調を権威付けするためのテクニックを学んだのです。
その内容は、権威ある機関や人物の論文、言葉を引用するというものでした。
自分の論調の根拠となるような論文の内容を引用することで、「権威ある機関や人が言っていることだから」と判断され、自分の論調の信憑性が増すのです。
レポートを書くときも、ネットでそういった論文や有名人の主張を探し、それらを引用するのがルールでした。
言っていることはわかります。ですが、私はこのとき正直バカバカしいと思いました。
なぜなら、そんなに他者の引用ばかりしていては、本当に自分で物事を考える力などつきようがないと思ったからです。
常に他者の論で、自分の主張を補足しなければならないというのは、他者に引っ張られ、他者に依存していることと同じです。
また、そうした権威付けがなければ判断できない人が世の中に多いということです。
本当に思考力のある人は、言葉そのものを聞いて、その善し悪しを自分で判断できます。言っている人に権威があろうとなかろうと関係ないのです。
とはいえ、そうしたテクニックを使わないと話を聞いてもらえないという現実もあります。なにより、その有効性が証明されているのも事実です。使わないよりは使ったほうがいいのでしょう。
ただ、忘れてはならないのが、それはあくまでテクニックだという点です。私たちは、そうした引用のテクニックを知り、権威に惑わされず物事の本質を判断する必要があります。
思考力の源泉は自分の意思があること
私がこれまで数多くの人たちを見てきて、改めて感じることがあります。それは、つまるところ、思考力はその人個人に自分の意思があるかどうかに依存するということです。
自分の意思がない人というのは、それまで自分の周囲から習ったことしかできません。
人から教えてもらったことを、そのまま実行することしかできないのです。ですから、物事を変えることができません。
自分の意思がある人は違います。人から習ったことでも、「これは違うのではないか?」「もっと良くできるのではないか?」と考えます。
そのため、人から習ったことを、さらに発展させることができるのです。
そうした事例を、私はこれまでいくつも見てきました。その場面に遭遇するたび、私はこう考えたのです。「なぜこの人は物事を発展させることができるのか?」
そして行き着いた結論が、「自分の意思がある」ということだったのです。
自分の意思があるから、物事をただ受け入れることなく疑うことができるのです。なぜなら、自分の意思に反すること、違和感があることに人は必ず反発するからです。
これが従順な人だとどうなるでしょう?
ただ素直に物事をそのまま受け入れ、疑うことをしません。その結果、物事が改善されることも発展することもないのです。
どんな分野でも一流の人たちは、我が強い人が多いのはそのためです。自分の意思を強固に持っているから、新しいモノを生み出すことができるのです。
本当に考える力とは、まず疑うことから始まります。自分の意思がない人は、物事を疑うことをしません。
もし、あなたが本当に考える力を身につけたいと思うなら、当たり前と思っていることから疑ってみることです。よくよく考えてみると、おかしなことばかりだと気づくはずです。
そこに気づくことで、物事の本質を知り、次第に本物の思考力が養われていくのです。