あなたは本当に正しい努力とは何だと思いますか?
私は22歳くらいのころ、「他人のためになる努力が正しい努力」だと思っていました。しかし、後にこれが間違っていたことに気づきます。
本当に正しい努力とは、自分の力になる努力です。そこを理解せず、他人のために努力したところで、他人のためにも自分のためにもならないのです。
べつの言い方をするなら、自分に力があるからこそ、自分の面倒も他人の面倒もみられるということです。ですから、まずは自分が力ある人間になるための努力をしなければならないのです。
今回は、「どのような努力が正しい努力なのか」、また「どのような努力が間違っているのか」について考えてみましょう。
どんな努力が正しい努力なのか?
「どんな努力が正しい努力なのか?」
最初に、私が考える正しい努力について箇条書きにしてみます。
自分の能力を高めるための努力
他人を知るための努力
私は人生において、この3つの努力が重要だと考えています。この3つに努力することで、自分の望む人生に近づいていくことができるようになります。
以下にその理由を解説していきます。
自分を知るための努力
まず自分を知るというのは、人生において最も重要なことです。自分を知れば、自分の強み、得意な分野、自分に向いている仕事もわかるようになります。
世の中のほとんどの人たちは、この自分を知ることに努力していません。
すでに自分のことを知っていると考えているからでしょう。ところが、そういう人ほど「自分が何をしたいのかわからない」「自分が何に向いているのかわからない」と嘆いています。
自分のことがわかっているのなら、自分のしたいこと、自分が何に向いているのかわかっているはずです。
もし、今のあなたがそういう状態であるなら、自分を知ることにもっと意識を傾けることをオススメします。自分をできるだけ客観的に見つめ、その日に起こったことを振り返ってみて下さい。
そのとき自分にどんな感情が湧き起こったのか、自分はどう考えたのか。そして、なぜ自分にそんな感情が湧いたのか、なぜ自分はそう考えたのかについて問いただしてみるのです。
自分の感情や思考は、自分の内側から自然に湧き出るものなので、普通の人は深く考えずスルーしてしまいます。そこをスルーせず、改めて自分と向き合い、自問自答することで、次第に自分の感情や思考に説明がつくようになってきます。
自分の感情や思考が説明できるということは、自分のことがよくわかっているということです。
そのときあなたは、自分の感情と行動が一致してくることに気づくでしょう。自分を理解し、コントロールできるようになっているのです。
その作業を何年も続けていくと、自分のことがより深くわかっていくようになります。その結果、あなたは自分の望みや生き方がハッキリとわかるようになり、迷いがなくなるのです。
孔子の言葉に「四十にして惑わず」という一説があります。私自身も40歳を超えて、自分の行動にあまり迷いがなくなってきていると感じます。
「我ながら長いことかかったものだ」と思いますが、今の若い人たちならもっと早い時期に気づけるような気がします。今の時代は情報も多く、多様な経験が積みやすいので、人生の早い段階で自分の強みや得意分野が見つかりやすいと思うのです。
自分の能力を高めるための努力
これが一般的に努力と呼ばれるものです。勉強して色々な知識を身につける、練習してサッカーがもっと上手くなる、といった能力的なものです。
もちろん、これも人生においてとても重要なものです。私たちは、新しい能力を身につけることで、はじめて色々なチャンスをモノにすることができるようになります。
物事が上手くいくとき、最終的には運がものをいいます。こういうと「なら努力しても意味がないじゃないか」と言う人が必ずいるのですが、それは違います。
私たちは能力がなければ運をモノにすることはできません。つまり、運をつかむために努力をするのです。
自分の能力を高めるというのは、自分でできることを増やすということです。できることがたくさんあれば、それだけ多くのチャンスをつかむことができるようになります。
だからこそ、自分の能力を高めるために私たちは努力を続ける必要があるのです。
他人を知るための努力
私たちが生活する場所が人間社会である以上、自分以外の他人を知ることはとても大切なことです。相手のことが理解できれば、相手に合わせた対応ができますから、人間関係も上手くいくようになります。
世の中のほとんどの悩みは、結局のところ”人”の問題に帰結します。
他人をよく知ることができた人は、人間関係の悩みから解放されるようになります。つき合うべき人、切るべき人がわかりますし、個々に合わせた対応ができるようになるからです。
ただし、他人を知るためには、まず自分のことを知らなければなりません。自分のことを深く知らない人間に、他人のことを本当に知ることはできないのです。
人間という生き物は、必ず自分を基準に物事を考えるようにできています。ですから、まず自分を知る努力をしなければなりません。自分のことを深く知れば知るほど、他人のこともより深く知るようになっていくことがわかるはずです。
自分と他人がわかれば、人間関係であまり悩まなくなります。悩みが減れば、人生をより楽しく送れるようになるのです。
間違った努力
次に、間違った努力についても触れておきます。今の世の中、とくにサラリーマン社会では、この間違った努力をしている人が少なくありません。
そのため、多くのサラリーマンたちが大きなストレスを感じ、精神や肉体の調子を崩しているのです。私がよく感じる間違った努力には次のようなものがあります。
自己保身のための努力
自分を大きく見せるための努力
一つ一つ解説していきます。
一部の人間に好かれるための努力
これはサラリーマン社会では、上司や先輩などがそうでしょう。人間関係というのは、相手に気に入ってもらうため、自分から近づくと軽く見られるものです。会社で上司に好かれようと努力する人たちは、これがわかっていません。
自分は好かれているつもりでも、相手からすれば ”ただの便利屋” でしかないのです。私が見てきたほとんどのケースでは、上司はその部下のことを都合のいいように使い捨てるだけでした。そこには、お互いに信頼関係もなく、一方的に都合のよい主従関係が出来上がっているだけなのです。
その他、権力者や有名人でも同じです。自分の利益や見栄のため、相手から好かれようとする人間は本心を見透かされます。そこで築いた関係は対等ではなく、ただの上下関係なのです。
閉鎖的な社会であれば、一部の権力者に取り入ることで、自分に利益があることもあったかもしれません。しかし、現代のように開放された社会では、一部の権力者に取り入ることのメリットは薄れています。
仮に取り入ったとしても、そこには上下関係しかないため、常に大きなストレスに晒されるだけでしょう。それが自分に合わない人間であればなおさらです。
人間関係の理想は、お互い自然に気が合うことです。それが最もストレスが少なく、気持ちの良い関係なのです。
すでに物質的には豊かな時代になりました。次に求められるのは精神の豊かさです。もうその時代は始まっているので、精神をすり減らしてまで一部の人間に好かれるような努力をすることは、もう時代遅れなのです。
自己保身のための努力
サラリーマンだけでなく、政治家や官僚、大企業の役員連中など、自己保身のために日々努力をしている人たちがいます。そういう人たちは、狭い世界で自分の立場を維持することに涙ぐましいほど努力します。
こういう努力も、デメリットばかりでほとんどメリットがありません。
自己保身のために努力をすれば、十中八九嘘をつくことになります。そして、一度嘘をつけば、再び嘘をつかなければならなくなり、その後何度も嘘の上塗りをすることになります。
それはいづれ矛盾を生み出し、嘘をつき通せなくなっていきます。最終的に嘘がバレると、周囲から批難されることは免れません。
また、自己保身でよく見られるのが、責任を他者に押しつけることです。
同じ会社の中だけという狭い世界であれば、それが通用することもありますが、それが社内だけに留まらない問題になると、もう通用しなくなります。
自己保身に走る人間というのは、こうした卑怯な行為に手を染めるのです。当然、人間も卑屈になっていきます。
そんなことに努力するくらいなら、自分の能力を高めることを考えたほうが100倍マシではないでしょうか。自分自身を貶めるような努力は百害あって一利なしなのです。
自分を大きく見せるための努力
ネットの世界では、とにかく自分を大きく見せるために努力する人がたくさんいます。人によっては「それ盛りすぎだろ!」とツッコミを入れたくなることもあります。
これも嘘の上塗りと一緒で、続けていると必ず矛盾が生じます。一度、矛盾を突かれると、それまでの嘘が次々と露呈し、坂道を転がるように転落していくことになります。
とはいえ、若い頃は誰しも、多少は自分を大きく見せたくなる気持ちはあるかもしれません。そういう私自身も、20代のころは虚勢を張っていた時期もありました。
あるとき、自分のやっていることが非常に格好悪いことに気づきました。
自分の本心に問いただしてみれば、私が虚勢を張っていたのは不安が原因だったのです。「他人からバカにされたくない」「舐められたくない」
「結局は自分の弱さが原因じゃないか・・・」そのとき、私は無性に恥ずかしくなりました。
たしかに、人生には色々な場面があります。ときには交渉で優位に立つため、自分を大きく見せる必要がある場面もあるかもしれません。しかし、人生でそういった場面は滅多にないのです。
自分を大きく見せるにも限度がありますし、その限度を超えれば完全に嘘ということになります。嘘をつけば嘘がバレることに怯えなければなりません。そんな努力は虚しいだけでしょう。
自分を必要以上に大きく見せる人は、短期的には持てはやされても、あっという間に消えていきます。それなら、自分を大きく見せなくてもいいよう、それ相応の実力を身につけることに努力すべきなのです。