私は本ブログで、「まずは読書で語彙力と理解力をつけましょう」と繰り返し言ってきました。
たしかに、読書には数多くのメリットがあるのですが、実はデメリットも存在します。世間一般でも、読書のメリットばかりが語られ、デメリットが語られることはほとんどありません。
しかし、読書のデメリットを知ったうえで読書をする人、デメリットを知らずに読書をする人の間には、いづれ大きな差が生まれます。ここを早いうちに知っておけば、あなたは他人より一歩抜きん出た存在になれるでしょう。
知識の毒
私たちは、読書をすることで様々なことを知ることができます。読書の目的No1は、なんといっても知識の獲得でしょう。自分の知りたい事柄に対して情報が欲しい。そう考えて本を手に取る人が最も多いはずです。
本を読んで新しい知識を得ると、私たちはなんだか自分が賢くなったような気になります。たくさん本を読めば読むほど、自分の頭に大量の知識がインプットされていきます。
そして、ほとんどの人は、それが良いことだと考えています。ここが読書の落とし穴なのです。
考えてみて下さい。本というものの性質を。その本は誰が書いたものでしょうか? 本の内容は誰が体験したものでしょうか? そう、それらの内容はすべて本を書いた作者のものです。自分で体験したものではありません。
私たちは読書で他人の行動や思考を疑似体験できますが、それはあくまで他人のものなのです。本の中に書かれている内容は、作者の体験であり考え方です。ここを忘れてはいけません。
他人の知識を自分の頭に入れるほど、私たちはその知識に強い影響を受けます。そして気がつけば、他人に頭を支配されたような状態に陥ってしまうのです。
とくに、自分の感性に合った作者の本を読むと、とても面白いですから、その作者の本をすべて読みたくなってきます。同じ作者の本を10冊、20冊と読み進めていくほど、私たちはさらに強い影響を受けていきます。そうして、次第にその作者と似た考え方になっていくのです。
自分で考えたつもりでも、気がつけばそれまで読んだ本の受け売りばかり。読書家の人ほど、その落とし穴にハマっていきやすいのです。
私が「知識の毒」を知ったとき
もちろん、私にもその経験があります。私は28~34歳くらいまで、年間150冊以上の本を読んでいました。それだけ本を読めば、嫌でも知識は増えていきます。それまで話し下手だった私も、知識が増えるほど、どんどん口から言葉がでてくるようになりました。
そのとき、私は自分の頭が良くなったような気がして有頂天になっていました。でも、あるとき気づいたのです。「なんか最近、自分の話が面白くないような気がする・・・」そう感じて、私はなぜだろうと考えました。
自分を客観的に見つめ、それまでの言動を振り返ってみたのです。そして、自分の話す内容の大半が、それまで読んできた本の受け売りだということに気づいたのです。
気がつけば、話の中には自分オリジナルの考えがほとんどなくなっていました。「このままではマズい」私はそう思いました。
話の内容が他人の受け売りばかりでは、面白くないのは当然です。私は完全に他人に頭の中を支配された状態に陥っていたのです。
その後、私は読書量を大幅に減らしました。同時に、本を読んだ後も、本の作者の考え方に影響を受けすぎていないかを自己チェックするようにしました。そうすることで、自分のオリジナリティを無くさないように配慮したのです。
知識があるほど思考力が低下する矛盾
日本人の99%は、記憶力が良いほど頭がいいと考えています。ところが、この記憶力の良さというのも扱いが難しいのです。私が34歳のときに体験したMBAで気づいたことがあります。
MBAの学生はほとんどが高学歴なので、私などより遙かに記憶力がいい人ばかりです。話していると次から次へと言葉が飛び出し、知識量の差を嫌というほど感じました。
そんな私も、2週間、1ヶ月と授業が進んでいくにつれ、彼らの欠点が次第に目に付くようになってきたのです。
それは、「記憶力がいい人ほど知識に頼りすぎている」ということでした。
気づいている人もいるかと思いますが、記憶することと考えることはまったくの別モノです。知識があまりなくても、創造的であったり、工夫する力が高い人はいます。それはとりもなおさず、本物の思考力があるからです。
しかし、自分の中に大量の知識を持っている人ほど、頭の中の知識をただ目の前の事象に当てはめようとするのです。そういう人は、自分の知らない分野になると一気に無力化します。自分の頭の中に答えがないと、自ら答えを作り出すことができないのです。
これは思考力が低下した状態だといっても差し支えありません。
資源がないから工夫ができた日本
これと似た例を一つあげてみましょう。日本は石油などの天然資源がなく、そのほとんどを輸入に頼っています。逆に、アメリカなど大きな国は石油やその他、天然資源が豊富な国です。
そのため、日本は省エネ技術が格段に進歩しました。翻って日本以外の国は、資源が豊富で価格も安いので省エネ技術はあまり進歩しませんでした。
その結果どうなったでしょうか? 自動車を例に取ってみれば、燃費のよい日本車がアメリカで飛ぶように売れ、最終的にGMを破綻に追い込んでしまいました。
日本は資源がない国だったため、少ない資源でもっと車を動かすにはどうしたらよいか必死になって考えたのです。反対に石油の安いアメリカでは、燃費をよくする必要があまりありませんでした。そもそも、自動車メーカーにも燃費を改善しようという気がなかったのです。
知識が多すぎるというのも、これと同じことだと私は思います。とくに、勉強をよくしてきた受験秀才ほど、知識に頼りきった人が多々見受けられます。
知識量を増やしても思考力を低下させない方法
ここまで、読書による知識の害、知識による思考力の低下について述べてきました。しかしながら、世の中には人並み外れた知識量を持ちながら、高い思考力を保っている人たちもいます。
知識に思考力を害されている人、害されていない人、両者の違いはなんなのでしょうか?
それは、知識の害について知っているかどうかの差です。
ここに書いているのは、あくまで私自身の体験にもとづいたものですが、恐らく、知識に思考力を害されていない人は、ここに書いている内容に近いことを自覚していると思います。
知識のメリットとデメリット、この両方を知っているはずなのです。だから、高い思考力を保ったまま知識を増やすことができるのです。
思考力を低下させずに知識を増やすには、次のようなことを定期的にチェックしてみましょう。
目の前の事柄にただ知識を当てはめていないか?
得た知識をどのように使うか考えているか?(体験重視)
自分の話す内容にオリジナリティがあるか?
好きな作者だからといって全てを肯定していないか?(批判なし≒思考停止)
実際にやってみればわかりますが、ここを意識している人としていない人とでは、5年後、10年後の思考力に相当な差が生まれます。
日頃、これらを意識している人は確実に思考力が上がっていくのです。これは私自身の体験からも間違いありません。
読書は私たちに多くの気づきを与えてくれますが、読書によって得た知識で害されることもあります。私たちは、そこを知ることで知識の毒から逃れることができるのです。
せっかくの先人の知恵なのですから、毒されずもっと有効に活用できるようになりましょう。