私は以前、出世競争はコスパが悪いという記事を書きました。今回はその続編になります。
昔よりは減ったとは思いますが、今でも出世を気にして仕事をしている人はたくさんいます。しかし、私はこの出世競争というものには否定的です。
たしかに、仕事を頑張って昇進し、それで給料が上がれば生活もよくなります。そこにやりがいを感じる人が一定数いるのもわかります。
ですが、私がこれまで20年以上、中小零細から大企業まで勤めてみて感じたことは、どこの会社でも出世競争の程度が低かったということです。
「あんな競争をして一体何の意味があるのか?」「そんなことを大多数の大人がやっているから、日本はダメになったのではないのか?」と私は思うのです。
今回は、あくまで私が見てきた範囲ではありますが、こんな競争のやり方は止めたほうがいいというものをピックアップしてみました。
ゴマすりが人間を卑屈にする
日本企業、外資系企業を問わず、出世競争にゴマすりはつきものです。ゴマをする人の中には、それとなくスマートにする人もいれば、見ているこちらが恥ずかしくなるような露骨なゴマすりをする人もいます。
前者はまだマシですが、後者は見るに堪えません。ああいうゴマすりを長年続けていると、ただでさえ卑屈な人格にさらに磨きがかかってしまいます。しかしながら、そうした卑屈な人間が組織の上層部に大勢いるのが今の日本の現状です。
卑屈な人間の相手はとても面倒です。自分が卑屈にしてきたため、下の人間にも自分と同じ卑屈さを求めるからです。自分がゴマすりで出世してきたため、それが正しいと錯覚しているのでしょう。
そうして、卑屈なゴマすりを強制され、まともな人間までもが卑屈な人間へと歪められていくのです。それは、サラリーマンのストレスも増えるというものでしょう。こうした子供じみた真似は、いい加減やめなければなりません。
そもそも、自分の人格を卑屈にしてまで出世を求める人間ほど、自信というものがありません。
自分の力ではなく、他人の力を借りなければ何もできないのです。そういう人間は、いざとなったら自分だけ逃げることを考えます。まったく頼りにならないのです。本来、そんな人間に、人の上に立つ資格はないのです。
人にゴマをすらなくても、自分の力でやっていける、それが本物の実力というものです。終身雇用が崩壊した今、本物の実力を持っていない人間は、今後、間違いなく通用しなくなるでしょう。
果てしなきマウント合戦
出世意欲が強い人は、ことあるごとに同僚にマウントを取ろうとしてきます。私も、それでこれまで何度も不愉快な思いをしてきました。
そういう人と会話をしていると、ことあるごとに私の言った内容の上からかぶせてくるのです。「俺の方がもっと凄い」「俺はお前より難しい仕事ができる」「お前より成果を出している」などなど。
ここまで直接的に言わなくても、会話の意味が間接的にこのような内容であることも少なくありません。人間ですから、たまには自分を誇示したいこともあるでしょう。ですから、私もたまに言うなら気にせずスルーしています。
ところが、会話の内容の大半がこんな感じだと、流石の私もうんざりしてきます。とにかく「お前より俺の方が上だ」と言いたいわけです。こういう人間とは、まともに相手をする気になれません。
私が露骨にうんざりした顔をしても、相手はお構いなしです。「お前が俺より上でいいから、もう勝手にやってくれ」と言いたくなります。こういう人は結局のところ、自分に自信がないのです。
このような自信のない人たちが、お互いにマウント合戦をしている場面もたまに見かけます。双方が「俺はこれができる」「俺はこんなことを知っている」とやるわけです。
端から見ている私からすれば、子供の喧嘩です。相手からマウントを取ることに気をつかうくらいなら、その労力を自分を高めることに向ければいいのにと思います。
マウントを取りたがる人というのは、そのほとんどが小心者です。他人のことばかり気にし、自分が上であることを確認しておかないと落ち着かないのでしょう。
そうやって他人の動向ばかり気にしている人は、いつまでも自分の人生に集中できません。
私が知る限りでも、マウントばかり取る人に高い能力を持った人はいませんでした。当然、大きな成果を出すこともないのです。
見る人から見れば、マウントを取る人は弱い人間にしか見えません。いくら自分を大きく見せたところで、すでに見透かされています。それを知っている人は、他人からやたらとマウントを取るようなことはしないのです。
責任という名の爆弾パスゲーム
これは大企業の社員によく見られます。責任を取らない人ほど出世するという悪習があるからです。責任を取らないだけならまだしも、責任を他の人に押しつけることも頻繁に行われます。
ある人は、「これはAさんの責任だ」と言い、Aさんは「Bさんの責任範囲だろう」、Bさんは「いや、これはCさんが責任を持つべきだ」と、まるで爆弾パスゲームでもしているかのような様相になります。
「見苦しいことこの上ない」とはこのことです。その責任というものが、重大なものであれば多少は理解できます。しかし、現実には些細なことでも、このような爆弾パスゲームが繰り広げられるのです。
私はこういう状況を見ると、(そんな責任、さっさと誰かが取ってしまえよ)と思います。そんな状況に業を煮やして、私は過去に何度も「なら自分の責任で構いません」と言ったことがあります。大して関係ないにも関わらず。
部課長連中はバツが悪いと思ったのか、「君では責任が取れない」と言います。そんな体裁を気にするなら、さっさと決断しろという話です。こういうのは見ていて本当にイライラします。
責任を取りたがらない人間は、絶対に成長できません。人は責任を取るという痛みがあるから人生に真剣になれるのです。失敗が自分の身になるのです。
彼らにはそれがわかっていません。だから、今の日本の大企業はどこもダメになっているのです。
足の引っ張り合いが人を無能にする
根も葉もない噂を流す。悪口を言いふらす。複数人で陰口を叩く。特定の人を村八分にする・・・。
どこの会社でも、このように人の足を引っ張る人たちがいます。「火のない所に煙は立たぬ」といいますが、こういう人たちは、しばしば火のないところに煙を立てます。
こうして人の足を引っ張る人たちは、99%能力のない人と考えて間違いありません。
人の足を引っ張ることがなぜダメなのか?
それは、自分を成長させなくてもできることだからです。人の悪口を言ったり、批難したりすることは、どんな人にでもできるでしょう。
自分が相手から何か直接的な被害を受けたのなら、悪口を言ったり批難したりするのも多少は理解できます。ですが、他人の足を引っ張る人は、自分には実害がないのにやっていることがよくあります。
その原因は、嫉妬心であったり、同調圧力であったりと様々です。「弱い犬ほどよく吠える」といいますが、彼らのような人種はまさにこれに当てはまるでしょう。
周囲に流され、または嫉妬心に支配される人は、気苦労ばかりで人生が楽しくなることがありません。他人に悪事を働いたぶん、自分にも跳ね返ってきているということです。
手柄争奪戦
会社内では、仕事の成果を横取りされるということもたまにあります。人の成果を横取りすることばかり考えている不埒な輩もいるくらいです。
このように、人から奪うことばかり考えていては、本物の実力はつきません。
人から手柄を奪う人間というのは、社内でも有名になります。それでも、なぜか日本の多くの会社では、そのような人間が出世するということが珍しくありません。
「どうして上の人たちは、それがわからないのだろう?」
私がまだ20代のころ、それが不思議でなりませんでした。それから、何年も仕事を続けていると、あるとき、ふとその答えがわかりました。
何のことはない、上の人たちも他人から成果を奪ってのし上がってきたのです。だから、自分と同じように成果を奪う人間を評価できるのです。
新入社員の成果まで奪った営業部長
以前、私が勤めた会社に、「俺は仕事ができるんだ!」と豪語する営業部長がいました。
ある日、その年に入った新入社員が偶然、大きな新規顧客を獲得しました。その新人は大いに喜び、その営業部長も「よくやった!」と褒めていました。
ところが、しばらくすると、その新人はべつの顧客に回され、営業部長が新規顧客の担当になったのです。新人が取ってきた顧客は、売り上げ的にかなり大口の顧客でした。営業部長は、その顧客の担当になることで、自分の昇進が早まると踏んだのでしょう。
私はその話を聞いたとき、営業部長の行為に吐き気がしました。
普段から偉そうにして、自分は仕事ができるとか何とか言っているのに、いざとなったら自分の権限を利用して、その年入った新入社員の成果さえ取り上げる。こんな卑怯なことはありません。
しかし、出世に狂った人間は、しばしばこのような行動にでるのです。実力があるのなら、なぜ人の手柄を奪う必要があるのでしょうか? これこそ、実力がない人間のすることでしょう。
中高年の遊び場と化した日本企業
さて、ここまで私が止めたほうがいいと感じた競争について書いてきました。ここまでくると、もはや競争ではなく「狂争」ですね。このような狂争を、あなたは正しい行為だと思うでしょうか? 良識のある人なら、まず思わないでしょう。
それでも、いまだに多くの会社では、このような低レベルな狂争が繰り広げられている現実があります。
中には、「出世競争にはもう疲れた」とこぼす人もいます。それなら、止めればいいのです。今どき、収入を上げる方法は出世以外にいくらでもあります。副業を解禁する企業も増えてきました。
出世競争に狂った人たちは、ここに挙げた内容についても「これも仕事のうちだ」と言います。本当にそうでしょうか?
よくよく考えてみれば、どれも社内の士気を下げたり、生産性を低下させることばかりではないでしょうか? それどころか、このような競争は、本来、仕事とはまったく関係がないのです。
それなのに、人の成果を取り上げたり、責任をたらい回しにすることまで仕事だと言う。理解に苦しみます。あんなものは仕事ではなく、ただのゴッコ遊びにすぎません。
日本の中高年世代は、とくにこのようなゴッコ遊びに長年興じてきました。そのため、「それが普通なんだ」と思い込んでいます。
そうして今、多くの中高年たちがリストラの憂き目に遭っているのです。
その中には、出世競争というお遊びを、仕事だと勘違いした人はかなりの数含まれているはずです。自分の能力を高めず、お遊びに長年興じてきたツケを、今払わされているということです。
それでも、いまだにこうしたお遊びを続けている企業もあります。とくに、歴史がある企業ほど、昔の体質から抜けることができません。
私も派遣やら契約社員で、それらの会社に何度か入ったことがありますが、私の感覚では中高年の遊び場という印象でした。そんな企業がこれから強くなるわけがないのです。
私は、今後20年で日本の大企業の半分は外資系になると予想しています。
それほどまでに、多くの日本の大企業は弱体化していると感じるからです。そして、その一因が日本の出世競争にあるのではないかと思えてならないのです。