日本企業、とりわけ大企業では出世競争に敗れ、出世のレールから外れる人がいます。
そんなとき、出世のレールから外れた人たちは、まるで負け犬のような顔をして意気消沈していることがよくあります。私が若いころならまだしも、今でも同じような状況を目にすることがあります。
「今どき出世以外の生き方などいくらでもあるのに、なぜ彼らはそこまで意気消沈するのか?」私は若いころから、ずっと不思議に思っていました。
期待は裏切られることのほうが多い
大抵の場合、出世のレールから外れたくらいで落ち込むような人は、1つの会社しか知らない人ばかりです。そのため、視野が狭くなってしまい、その会社の中だけが世の中だと思い込んでいるのです。
とくに、新卒時から順調に出世コースを歩んできた人ほど、一度出世のレールから外れると大きなショックを受けます。そのような人は、それまでの人生においても、挫折を経験していないのでしょう。そのため、あまりにも世間知らずになってしまっています。
そもそも、会社というのは他人の集まりです。他人が自分の思い通りになるわけがありません。1人でも思い通りにならないのに、その上に何人も上司がいるわけですから、順当に上がっていけるほうが珍しいのです。
たとえ、どんなに直属の上司が自分のことを評価してくれていたとしても、いざとなればさらに上の上司が却下することもあります。今や8割以上が課長にすらなれないといわれる時代、出世に過度に期待する方が間違っています。
出世のレールから外れて落ち込む人は、世の中は自分の言動に責任を持たない人の方が ”圧倒的に多い” という事実を知らなければなりません。
約束を破られたり、期待を裏切られるなど日常茶飯事なのです。彼らが約束を破ろうが、こちらの期待を裏切ろうが、契約書でも交わしてない限り拘束力はありません。拘束力のない約束なら、相手に守る義務もないのです。
なぜ他のレールを探せないのか
これまで私が勤めてきた会社には、出世競争に敗れた人、親会社から子会社に出向となり鬱病になった人がいました。私からすれば、「その程度のこと何がそんなに苦しいのか?」と思います。
彼らを見て思うことは、会社というものに依存しすぎだということです。
たしかに、私が20代のころなどは、情報もなく会社が今より社員を洗脳しやすい状況だったといえます。それでも、「自分の人生を全て会社に捧げるのはいかがなものか?」と私はいつも感じていました。
もし、どうしても出世にこだわるのなら、会社を変わって別のレールに乗るという手段もあったはずです。彼らはその会社のレールしか頭にないのでしょうか? だとしたら、視野が狭すぎると思います。
ちょっと世間を見渡せば、自分の会社のレールよりいいレールなどいくらでもあるからです。そのレールがダメなら次のレールに乗り換えれば済む話でしょう。
それができない人というのは、ブランド意識が強い人なのかもしれません。
有名企業であればあるほど、そこで出世すれば世間体は良くなります。「大企業の○○で課長をやっている」となれば、女性からちやほやされることがあるのも事実です。
しかし、そんなことにそこまで価値があるのでしょうか?
私なら、会社の看板でちやほやされても全然嬉しくありません。ちやほやする女性たちが見ているのは、所詮、自分ではなく会社の看板なのです。自分以外のものを見ている人たちは、ひとたびそれがなくなれば、一気に引いていくのです。
そんな借り物の力に頼るくらいなら、自分自身に磨きをかけたほうがよほど保険になります。これからの時代は、そういう時代なのです。
自分の意思がない人ほど出世を気にしている
私が長年サラリーマンをやってきて感じたことは、自分の意思がない人ほど出世にこだわっているということです。自分の意思がないということは、自分の生き方が定まっていないということです。
自分の意思がしっかりとあって、生き方がある程度定まっている人は、出世のレールから外れても落ち込んだりしません。彼らは、出世というものを中心に人生を考えていないからです。
出世ができなくとも、最終的に自分の望む人生が送れればいいと考えているのです。あくまで、自分の望む生き方が中心にあり、出世が人生の目的になってはいないのです。
自分の意思がない人は、自分の望みがわかりません。自分の望みがわからないから、他人の望みを設定されてしまうのです。そして、それが自分の意思だと錯覚してしまうのです。
本来、出世というのは、自分の目的を達成するための一手段にすぎません。
それなのに、出世が目的となっている人が異常に増えてしまいました。恐らくは、高度経済成長期のころからでしょうが、手段と目的が混同されているのです。
どの会社でも、出世した人が楽しそうに見えないのはそのためです。自分本来の目的を見失い、出世のレールにただ従って人生を歩いてきただけだからです。
出世というものを軸に、自分の人生を組み立てる時代はとうの昔に終わっているのです。これからの時代は、自分の望みを軸に人生を組み立てていくべきなのです。
そのほうが、人生の満足度も高くなりますし、出世のレールから外れたくらいで落ち込むこともなくなるのです。
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