毒親は捨てていい

今の世の中、大人になっても毒親によって苦しめられている人がたくさんいます。

私が毒親という言葉を初めて聞いたのは、もう12~3年くらい前になるでしょうか。これは、1989年に米国の医療セラピストである、スーザン・フォワードという人が作った言葉のようですが、上手い表現だと思いました。

一般的な毒親の定義としては、過干渉、暴言・暴力・ネグレクトなどの虐待、子供への支配欲など、子供の成長に害となる行動をする親のことをいいます。

これらに当てはまるのが毒親とするなら、私の親も毒親でした。暴言・暴力・過干渉、子供への支配欲。社会人になってからは、私を利用しようとしたり、度重なるお金の無心もありました。どう考えても毒にしかなりません。

しかし今現在、私は毒親の影響から完全に開放されています。自分の子供を虐待することはありませんし、子供を支配しようとも思いません。子供は自分の ”モノ” ではないのです。

その理由は、ある時期から完全に親との関係を断ったことにあります。親との関係を断つことで、本当の自分の人生を歩み、自分を満足させてきたからこそ、それが可能になったのです。

自分を満足させてない人が毒親になる

日本では、自分の夢を子供に求める親が多いといわれます。

自分ができなかったことを、子供に達成させることで自分の人生に満足感を得たいのでしょう。子供も親が喜ぶ姿を見たい、親から褒められたいがため、しばしば親の期待に応えるよう努力することになります。

ですが、子供と自分は違う人間です。子供にたまたま自分と同じか、それ以上の才能が宿っていればいいでしょうが、現実はそうならないことがほとんどです。結果、子供は挫折し、親との関係が破綻したという事例は過去にいくらでもあるのです。

こうして子供に自分の人生を歩ませようとする親も、ある意味で毒親といえるでしょう。

彼らは子供を利用して自己実現をしようとしているからです。見方をかえるなら、それも子供の人生を支配しようとしていることと同じことです。その根底には親の強い自己愛があります。

とはいえ、人間はそれほど強い生き物ではありません。ある程度、自己愛を満たしてないと他人には優しくできないものです。

昭和の時代、男は会社に滅私奉公し、女は家庭で我慢ばかり。男女ともに何事も我慢、我慢、我慢こそが美徳・・・そうした時代背景が日本に毒親を増やした一因かもしれません。

なんにせよ、人間というのは、ある程度自分を満足させないと、欲求不満に陥ってしまうことは間違いありません。そして、自分で欲求が満たせない人間は、たびたび身近にいる弱者を自分の思い通りにしようとします。

自分ができないから、自分以外の他人を操ることで自分の欲求を満たそうとするのです。

これが毒親たちの基本的な精神構造です。会社組織で、パワハラ上司が部下を思い通りにしようとする構造と似ています。

彼らは、自分のことで精一杯なので、自分の子供の気持ちを考える余裕がありません。まだ、自分を客観的に見つめられる人なら救いがありますが、毒親と呼ばれる人たちには自分を客観視できるだけの余裕がないことがほとんどです。

ですから、毒親育ちで自分が毒親になりたくないと考えている人は、まず自分を満足させることを考えないといけないのです。

自分を不幸にする親に孝行をする必要はない

私は以前、「親孝行のために人生を犠牲にしてはいけない」という記事を書きました。

なぜこのような記事を書いたのかというと、今の日本においても、親孝行に縛られて自分の人生を犠牲にしている人がたくさんいると感じていたからです。以前の私がそうだったように。

親とは、ただ子供の幸せを願い、成人するまでその手助けするだけでいいのです。親孝行という見返りなど求めてはいけません。それが本当の親というものです。

それがいつの頃からか、「子供は親の面倒を見るのが当然だ」といった誤った価値観が世の中に浸透してしまいました。

ここで、よく考えてみて下さい。

そもそも、親孝行というものは強制されないといけないものなのでしょうか? ましてや、子供を不幸にしてきた毒親に孝行される権利などあるのでしょうか? 私はないと思います。

法律でも、子供を18歳まで育てるの親の義務です。親が子供を育てるのは当たり前なのですから、毒親に孝行しないことに後ろめたさを感じる必要などないのです。

そんなことを気にするより、自分がまともに人生を送り、自分の子供に十分な愛情を注げるようになることを考えるべきです。自分が毒親となって負の連鎖を繰り返さないためにも。

毒親との関係を断つことでしか幸せの道は開けない

私が実家から出たのが23歳のとき、親との関係をほとんど断ったのが28歳のときでした。今考えると、もっと早くしておいたほうが良かったと思っています。

親との関係を断ってから、私の人生は明らかに良い方向に進み始めました。

精神をかき乱されることがなくなり、無用なストレスがなくなったのです。それまでは、いつもイライラしていたのに、少しずつイライラすることが減っていきました。

そうすると、以前より人づきあいが上手くいくようになり、いい人も寄ってくるようになったのです。いつもイライラしている人はつき合いづらいですからね。

お金をせびられることもなくなったので、そのお金を自分の趣味など、やりたいことに使えるようになりました。そうして、少しずつ自分を満足させることができるようになったのです。

親子関係のストレスというのは、ある意味で他人とのストレスより大きいといえます。

長年、お互いに強く影響しあってきたため、頭の中から完全に排除しようとしても、それが難しいのです。たとえ大嫌いだったとしても、気になってしまうのです。

だから、自分の親が毒親であればあるほど、親との距離を置いて関係を断ったほうが、最終的に自分の人生は上手くいくようになります。

それができるようになるには、非情さといったものも必要になるでしょう。

情が深いのは悪いことではありませんが、それも時として裏目にでることがあると知っておかなければなりません。

これまで、私の周りでも、親との情に絆されて浮き上がれなくなった人が何人もいます。そういう人たちは、10年以上前から今日に至るまで、ずっと同じ問題で悩み続けているのです。

可愛そうですが、そんな人生に進展はありません。それどころか、自分も親ともども一緒に沈んでいくことにしかならないのです。

それだけならまだしも、自分の子供たちにも同じ境遇を強制することになりかねません。親がどこまでも子供の重荷となる、それはどう考えても正しい親子の姿ではないのです。

結局、そうした負の連鎖を断ち切るには、どこかで誰かが非情になって親との関係を断つ以外に方法はないのです。

自分に子供がいるならなおさらです。親なら未来である子供の人生を優先すべきなのです。もし、あなたに子供がいなくとも、親の人生より自分の人生をまず優先すべきだと私は思います。そうしないと、あなた自身が浮き上がることができなくなるからです。

親との関係を断ち、あなたが心身ともに健全となって余裕がでれば、また親との関係も変わってくるかもしれません。かつては毒親だった親も、年をとれば丸くなることもあるのです。そんなときは、また親子として、改めてつき合いを考えてみるのもいいでしょう。