差がつく情報との向き合い方

現代社会では、スマホ一つあれば誰でも膨大な情報にアクセスできます。

そのため、「今の若い人たちは、私たちの若い頃より知的レベルが上がっているだろう」私はそう考えていました。ところが、知識がつけば知的レベルが上がるほど話は簡単ではなかったようです。

スマホ一つで、何でもすぐ調べられてしまうことで、現代人の多くがスマホに依存し、考える力を失っているのです。とくに最近は、なんの検証もせず、ネットの情報を鵜呑みにする人が増えていると感じます。

私たちは、学校教育で ”正解か不正解か” という二者択一の価値観を植え付けられました。

その結果、ネットを含むあらゆる情報を正解か不正解かといった基準で判断してしまうのです。しかし、これでは正しく情報と向き合っているとはいえません。世の中に溢れるすべての情報は、たんに正解・不正解の二択で決められるものではないのです。

白黒つけられない情報もあることを理解する

私たちはこれまでの学校教育で、ずっと情報を受け入れるだけ、情報の一方通行な教育を受けてきました。授業を受ければ、今度は定期テストで受け取った情報に正解することを求められます。

それが幼いころからの習慣となり、ほとんどの人が世の中の情報を正解か不正解かの二択で判断するようになってしまったのです。

しかし、世の中の情報には、状況によって答えが変化するものもあるのです。同じ答えでも、そのときの状況によっては、正解にもなるし不正解にもなるということです。

また、一人の人間の言うことがすべて正しいということもありえません。どんな識者や専門家であろうと、人間ですから間違いがあることもあります。

ですから、どんな偉い人の言うことでも、そのすべてを鵜呑みにしてはいけないのです。

「この人の言っている内容のこの部分は正しいけど、この部分はよくわからない・・・」といった、曖昧さを残した判断もときには必要になります。

現代人は、こうして曖昧な部分を残すことを嫌います。ですが、世の中は白黒ハッキリする事象ばかりではないのです。曖昧な部分が嫌であれば、自分で調べて事実を確認するしかありません。

それができないなら、曖昧なままでもいいのです。情報の成否を自分の中で確定せず、これは間違っているかもしれない”という可能性を残しておくのです。そうすれば、アテが外れても落胆することはなくなります。

○割の真実に○割の嘘を混ぜる詐欺師の手口

詐欺師がよく使う手に、7割の真実の中に3割の嘘を混ぜるというものがあります。

無条件に権威や肩書きを信じる人たちは、しばしばこの詐欺師の手口に騙されます。それも結局は、自分でちゃんと物事を判断していないことが原因なのです。

たとえ高学歴でも、このような単純な手口に騙される人は結構います。

権威や肩書きを気にせず、情報をフラットに受け取れる人であれば、その人の話のおかしな部分に気がつきます。相手がそれまで正しいことを言っていたとしても、途中からおかしくなっていることがわかるのです。

ようは、肩書きなど実際の話と関係のないことに気を取られ、情報をよく吟味しない人、すぐに白黒をつけようとする人は、騙されやすいということです。

すべての情報は信じるよりも参考にする

私もかつてはすぐ人に騙されていました。身近な人間から詐欺師まで、何度も騙されていくうち、情報との本当のつき合い方というものがわかってきたのです。

結局、人がなぜ騙されたり扇動されたりするのかといえば、それは自分で物事を判断せず、相手に判断を丸投げしていることが原因なのです。

「権威ある機関の出している情報だから正しい」「有名大学の教授の言うことだから正しい」
これらは、すべて自分で判断せず、権威や権力といった他者に判断を丸投げしていることに他なりません。

それでは本当に自分で物事を考えているとはいえないのです。

では私たちはどうすればいいのかというと、どんな情報も信じるより参考にすればいいのです。

「参考にする」というのは、他人の話や資料などの情報を、自己判断の材料にすることをいいます。つまり、正解か不正解かの最終判断を自分でするための手がかり(ヒント)にするということです。

情報の正解・不正解を決めるのはあくまで自分という姿勢で情報に向き合えば、自分で物事を考え判断する力が次第に身についていくのです。

なんでも人のせいにしない

これは以前から感じていたことですが、今の日本人は老いも若きも、なんでも人のせいにする人が増えすぎたと思います。これまで、私の周囲にもそのような人がたくさんいました。

もし、あなたが本当に情報を正しく理解し、判断する力が欲しいなら、なんでも人のせいにするのは今すぐ止めましょう。

なぜなら、人のせいにするという行為自体、他人に判断を丸投げしているのと同じことだからです。私がこれまで見てきた人たちも、他責の気持ちが強い人にはまったく成長がありませんでした。

正解、不正解を自分で判断するという行為には、責任がともないます。自分で責任を持って判断をするから、物事をよく考えるようになるのです。かりに間違えたとしても、その失敗を次に活かせるようになるのです。

ところが、なんでも人のせいにする人たちは、最初からその責任を放棄しているので、いつまで経っても自分で考える力が身につきません。当然、物事の判断もできないままです。

自分は楽かもしれませんが、楽をしたぶん、そのツケはいづれ必ず自分に返ってきます。

著者に責任を求めても仕方がない

Amazonで本のレビューを読んでいると、たまに「この本に書いている内容を信じたら損した。責任を取れ!」みたいなことを書いている人がいます。

こういう人は情報との向き合い方が根本的に間違っています。

その本の著者は、言論の自由に則り、自分の経験や考えを述べているだけです。著者は読者の行動にまで責任を持つ義務はないのです。

それなのに、本に書いてあることを、何の確認もせず鵜呑みにして、自分が損をしたら責任を取れというのはおかしな話です。そういう人に限って、実際は本に書いてあることと違うことをしていたりするのです。

もし、自分がSNSで呟いたことが拡散され、どこの誰とも知らない人から、ある日突然「責任を取れ!」と言われたらどう感じるでしょうか? そんなことまで責任は取れないと思うはずです。

世の中の情報というのは、そういう性質のものだと理解しなければなりません。

すべての情報は参考にする程度にとどめ、自分で物事を考え、最終判断は自分でする。そういう姿勢で情報と向き合えば、いづれあなたには本当に考える力が身につくようになるのです。

実際、そういった視点で情報に向き合っている人はまだ少数派です。

だからこそ、若いうちに情報との正しい向き合い方を身につけておけば、周囲より一歩先行く存在になれるのです。

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