日本には「お客様は神様です」という言葉があります。
この言葉を古典の格言と思っている人もいるかもしれませんが、これは演歌歌手の三波春夫さんが生前のインタビューで語った内容が元ネタです。つまり、「お客様は神様」という言葉は、三波春夫さんの個人的な主張だということです。
ところが、いつの間にか、この言葉だけが一人歩きし、「お客の言うことなら、どんなことでも従わなければならない」といった意味に曲解され、世間に広がってしまいました。
その結果、「金を払っている方が偉いんだ」とばかりに客側が傍若無人になり、現場で働くスタッフが大きなストレスを抱えることになったのです。
私は以前から「お客様は神様です」という考え方は反対でした。今回は、その理由について説明していきます。
商品やサービスを提供する側と客は本来対等である
そもそも、商品やサービスを提供する側というのは、その対価としてお金を受け取っています。
客側は提供する側の商品が欲しかったり、サービスを受けたいと考えたからお金を払っているわけです。本来、そこには上下関係などなく、お互いが納得しあって取引が成立しているはずなのです。
それがいつの間にか、「お金を払っている方が偉い」という図式にすり替わってしまいました。
客側はお金を払っているという優位的地位を背景に、提供する側に無理難題を押しつけるようになってしまったのです。
本当なら、そんな客には「なら商品やサービスは提供できません」と毅然とした態度で接すればいいのです。ところが、現実には客に頭が上がらないことの方が多いのです。
今の会社組織では、とくに50代から上の世代で、お客に対して強く言える人が非常に少ないと思います。そのため、現場で働くスタッフが、無駄な我慢を強いられて疲弊しているのです。
迎合主義は自社の利益を大きく損なう
今の日本には、顧客への迎合主義が蔓延しています。
私がこれまで勤めてきた会社もそうでした。そのため、客側はますますつけ上がり、こちらの利益を好き放題侵害してくるようになりました。
私はこれまで何度も、客の傲慢な仕打ちを上司に報告し、対策を取るよう進言してきました。しかし、どこの会社の上司もことなかれ主義ばかりで、まともに対応する気が感じられません。
まったく頼りにならないと感じた私は、客と直接やり合うことになります。上の人間は慌てますが、上がアテにならないのだから、自分たちの身は自分たちで守るしかありません。
彼らはわかっていないのです。
客の増長を際限なく許すことが、どれだけ自社の利益を損なうかを。
増長する客というのは、要求がどんどんエスカレートしていきます。そうした顧客担当者を野放しにしておくと、自分たちはどこまでも時間と労力を使わされるだけなのです。気がつけば、金銭的に大きな損失を自社が被ることも少なくありません。
ですから、どこかで誰かが歯止めをかけないといけないのです。
かといって、私もそこまで馬鹿ではありません。2重、3重に保険はかけています。最悪、私が会社を辞めれば済むように話を持っていくのです。
ですが、実際には大したことになったことはありません。
なぜなら、私とやり合うと客側の担当者が大損害を被るからです。「私とやり合っても、あなたには損しかありませんよ」ということを理解させるのです。
最悪、私は会社を辞める覚悟があるので、最初からその覚悟で挑む人間と、出世や評価を気にする人間とでは、やる前から勝負は見えているのです。
今の中高年世代は、あまり喧嘩をしていないのでしょう。だから、客と喧嘩したあとの結果がわからず不安ばかりが募って、客に言うべきことを言えないのです。
いくら客といっても、こちらの利益を不当に侵害してよい理由はありません。
会社に勤めている私たちは、慈善事業で仕事をしているわけではないのです。自分たちの利益が不当に侵されているのなら、ときには客と戦う姿勢も見せる必要があります。
そうしないと、どこまでも客に舐められ、自分たちの利益を不当に奪われることになってしまうのが今の世の中なのです。
客の甘やかしは客自身のためにもならない
現代のサラリーマンは、本当に近視眼的な物の見方しかできない人が増えてしまったようです。なんでもかんでも、客の要求にYESと答えるイエスマンばかりになってしまっています。
日本企業のこうした誤った顧客至上主義は、ときとして客側にも不利益をもたらします。
たとえば、私がいるような設備メーカーの業界では、客がなんでもメーカー頼みで自分たちで考えることをしなくなっています。日本の下請け業者やメーカーが、あまりにも客に甘いのです。
たしかに、下請け業者やメーカーは、顧客からの厳しい要求に応えることで技術力が向上するという側面はあります。ですが、それも程度の問題です。
客によっては、自分たちがやるべき業務まで、こちらに振ってこようとすることもあります。そんな雑務まで受けていては、日々の雑務に追われ、私たちの本業がおそろかになります。
ですから、その辺りの線引きはハッキリしておかないといけないのです。
また、客に対して物言える人がいると、客側も気持ちが引き締まります。グダグダの馴れ合いや、不当な利益の侵害がなくなり、節度あるつき合いができるようになるのです。
それができないから、日本のメーカーは契約の内容まで平気で反故にされることになってしまうのです。そして、それが次第にエスカレートして、ついに客の行動が完全な違法行為に発展していくケースもあるのです。
客の違法行為が明るみに出ると、その企業は場合によって甚大な損失を被るでしょう。
それが自社と関係があるとしたら、客に歯止めをかけられなかった自分たちにも責任の一端があると、裁判所で判断されてしまう可能性もあるのです。
だから、客を甘やかして過保護にすることは、客自身のためにもならないのです。日本の会社は、そこのところを理解している人が少ないと感じます。
「お客様は神様です」というのなら、それは節度あるつき合いができて、なおかつ払うべきお金をちゃんと払ってくれるお客様こそが神様なのです。
それなのに、こちらの利益を不当に奪う貧乏神まで神様だとするのは、頭がどうにかしているとしか思えません。
お客様を神様とするなら、最低でも本物の神様(良客)と貧乏神(悪客)の区別くらいはつけたほうがいいでしょう。そうしないと、最終的には自社の利益だけでなく、お客の利益まで失わせてしまうことになりかねないのです。