論破、論破と叫ぶ人は勝利に飢えている

ここ数年くらい前からでしょうか?

ネット上でやけに ”論破” という言葉が使われるようになりました。「はい論破!」だとか、あの人は論破王だとか、何かにつけて論破という言葉を目にするのです。

”論破”とは、議論をして相手を言い負かすことをいいます。

正直なところ、私は「あれも論破だ!」「これも論破だ!」と叫んでいる人を見ると、かなりシラけた様子になります。なんというのか、そういう人はなにか勝ちに飢えているような印象を受けるからです。

なぜ彼らは、そんなに人を論破したいのでしょうか? 彼らの議論の目的とは相手を言い負かすことなのでしょうか? だとしたら、あまりにもつまらないと思います。

議論の目的とは最適解を導きだすことにある

本来、議論とは、そこに集まった人たちの知恵を出し合って、より良い解答を導き出すためのものです。

議論の場においては、自分の意見が正しいとか、相手の意見が間違っているというのはどうでもよいのです。

どんな意見でもいいから、自由に意見を言い合うことで、その場にいる人たちの発想を広げること、そこから有益な解答を導き出すことこそが重要なのです。

お互いが自由に意見を出し合える場では、その場に集まった人たちの間で思考の化学反応が起こります。そこから、創造的な発想や建設的な意見が次々と出てくるようになるのです。

そのような場に、勝ち負けを持ち込むという発想自体が間違っています。議論の場に、勝ち負けの要素を持ち込むと、議論の目的が勝つことにすり替わってしまうからです。

ディベートなどの競技ならまだしも、ただ相手に勝つことのみを目的とした議論は、確実に議題の本質からかけ離れ、本来の目的とはまったく違った結論を導いてしまいます。

勝っただ負けただ、俺が上だ下だ、そのように相手を打ち負かすことを目的とした議論には、創造的な発想も建設的な意見も生まれません。

いうなれば、お互いに罵り合って、より相手を痛めつけた方が勝ちという低レベルな発想と同じです。そんなことは、お互いに気分が悪くなるだけで、なんの意味もないのです。

見知らぬ他人の意見を勝手にとりあげ論破する

ネットの掲示板やYoutubeなどでは、しばしば面識もない人の意見を取りあげ、その意見を論破したと喜んでいる人がいます。

彼らは、相手が議論を持ちかけたわけでもないのに、勝手に相手の意見を取りあげ論破しているのです。そして、「俺の勝ちだ!」「俺の方が正しい」「俺の方が上だ」と自分の力を誇示しています。

そういう人たちを見るにつけ、「この人は現実の世界で負けが込んでいるのではないか?」と、私は思ってしまいます。

彼らのいう論破は、自分の正当性を主張するだけで、明確な目的が感じられないのです。なぜ、そんなに見知らぬ他人にまで勝ちたがるのでしょうか?

ネットの世界では、より注目を集めた人が利益を得られるようになっています。彼らは注目を集めることで利益を得たいのかもしれません。

人が生活していくためには利益も必要ですから、私もそれをすべては否定しません。ですが、ただ他人の揚げ足を取ったり、批判したりするだけというのは感心できません。

ここで忘れてはならないのが、勝手に意見を取りあげられた人には、まったく反論の余地がないということです。

実のところ、相手が反論しないところで、論破するのはさほど難しいことではないのです。自分には十分考える時間があるわけですから、相手と正面から向き合って論破するよりよほど簡単なのです。

これは、無抵抗な相手を殴りつけて「自分は勝った」と喜ぶに等しい行為です。無抵抗な相手なら、誰でも勝つことができるでしょう。

そんな些細な勝利にまでこだわるということは、その人は現実世界であまり勝利を実感することがないのかもしれません。

小さな勝利にこだわる人は人生の大勝負に負けやすい

ネットの世界だけでなく、サラリーマンの世界でも似たような人は見受けられます。こちらが競うつもりもないのに、一人でムキになって「俺の方が正しいんだ!」と挑みかかってくる人がいるのです。

私は、そういう人を相手にするのが面倒なので、「それでいいんじゃないですか」と適当に流しています。ところが、なぜか彼らはそれを勝ちと認識し、一人で喜んでいるのです。

このように、どうでもよいことに勝負を仕掛け、勝ったと喜ぶ人は、しばしば人生の大勝負で負けることになります。

彼らの目的は、相手を打ち負かすことなので、議論の目的というものが見えていません。

当然、それではズレた主張をすることになります。ズレた主張をすれば、その後の実行案もズレてくるため、本来の目的を達成することができなくなるのです。

私は以前、「勝ち負けはただの手段」という記事を書きました。

この中で書いたように、目的を持たない勝ちには本来、意味はないのです。負けることに恐怖し、勝つことに執着することは、しばしば相手に不快感をあたえます。それは結果として、自分の周囲に敵を増やすことになってしまうのです。

人生において、敵は極力少ない方がいいのは言うまでもありません。しかし、つまらない勝利にこだわる人は、むやみやたらと敵を増やし、いづれは自滅していくのです。

ネットの世界では、他人を批判しすぎて相手から手痛い反撃を食らい、消えていく人がたまにいます。現実世界でも、敵を作りすぎて四面楚歌になり、会社を去らなければならなくなる人がいるのです。

つまらない勝ちにばかりこだわる人は、そうして自分の望みを達成することができなくなるのです。彼らは小さな勝利にこだわりすぎて、大勝負に負けているのです。

どんな天才でも、長い人生において百戦百勝は不可能です。ならば、どうでもいい些細な勝利は捨てて、大きな勝負に勝った方がいいのではないでしょうか?

誰の周囲にでも、小さな勝利はいくらでも転がっています。しかし、どうでもいい小さな勝利を拾うことに労力を使うくらいなら、大きな勝利のためにその労力を使ったほうがいいのです。