近年、日本人の価値観は多様化したといわれています。
たしかに、私が社会にでた25年前、社会の価値観は今ほど多様化してはいませんでした。男は外で働き、女は家庭を守るもの。男は出世するもの。
日本社会全体に、そのような価値観が浸透していました。
翻って近年、ネットの台頭で日本社会は膨大な情報であふれ、それに伴って人々の価値観も多様化していきました。同時に、価値観だけでなく、お金の稼ぎ方やライフスタイルまでも多様化していったのです。
そんな時代になっても、日本のほとんどの会社組織では、今でも出世を目指すよう求められる風潮が残っています。果たしてそれは、今の時代において正しい選択なのでしょうか?
他人の敷いたレールに乗ることが習慣になっている
私が社会にでてから、今年で25年になります。会社を転々としながら、25年もサラリーマンをやっているわけですが、どこの会社でも出世したいと思うことがありませんでした。
他の記事にも書いているように、その理由は色々とありますが、とにかく出世することに人生の意義が見いだせないのです。自分の望む生き方と、出世が一致しないと言ったほうがわかりやすいでしょうか。
私たちは中学校くらいから、成績で順位をつけられるようになります。そこで競争心を焚きつけられ、他人を意識して人生を送るよう仕向けられるのです。
社会に出てからも、同様に評価というものがあり、その評価で出世するか否かが決まります。しかし、それも考えてみれば、しょせんは他人の敷いたレールにすぎないのです。
自分にしっかりとした考えがあれば、自分の生き方は自分で決めることができます。出世することが自分の人生の目的と一致していればいいですが、99.9%そんな人はないでしょう。
結局、ほとんどの人は、中学生時代からの習慣の延長線上で、どこの誰ともわからない他人の敷いたレールに乗っかっているにすぎないのです。
目の色を変えて出世に邁進する人たちは、出世しなければならないと思い込んでいるか、社会的地位で自分の劣等感を補おうとしているかのどちらかです。彼らの多くが楽しそうには見えないのはそのためでしょう。
競争とは人を強制的に行動させるための仕組み
今の世の中のほとんどの競争とは、人を強制的に行動させるための仕組みではないかと私は考えています。とくに、自発性のない人たちを動機づけさせるには、他人を意識させ競わせることが有効な手段となります。
学生時代、運動部に所属していた人などは、その傾向がより強いように感じます。
運動部系の人たちというのは、競争相手がいないと行動しない人が案外多いのです。もしかすると、競争相手がいなければ行動できないのかもしれません。スポーツというのは、基本他人と競うものですから、競う相手がいないと燃えないのでしょう。
私の職場にも、学生時代サッカーをしていて、全国大会に行ったことがある若者がいました。当初、彼はまったく仕事をせず、グループのお荷物状態になっていました。
その当時、同じグループには彼の他、私と上司しかいません。私と上司は彼と15歳以上年齢が違います。私は「たぶん彼は近い年齢の同僚が入ればやる気を出すだろう」と思っていました。
彼が入社して3年目、1歳年下の後輩が入社します。すると案の定というか、突然彼が真面目に仕事を覚えはじめたのです。それまでは私と上司に頼りきりだったのに・・・。
運動部であるかどうかに関わらず、競争相手がいることが理由で、このように真面目に仕事をしはじめる人は結構います。年齢が近い者同士だと、余計にライバル意識が芽生えるようです。
世の中は、自発性がある人よりない人の方が多数派です。その多数派をいかに社会に都合よく行動させるか。そのために考えられたのが、競争という仕組みなのかもしれません。
他人のレールに乗ることに疑問を持つ若者が増えている
価値観が多様化している現在、他人のレールに乗ることに疑問を持つ若者が、少しずつ増えているようです。
社会が豊かになり、価値観が多様化すれば、自分らしい生き方を追求しようとする人も増えてきます。そして、それを実現するためのツールや手段も今や腐るほどあるのです。
そんな時代に、わざわざ苦しい思いをしてまで出世を目指す必要はありません。
そもそも、会社における評価の査定は、年に1回です。ほとんどの会社では、格付けが上がるのも数年に1度でしょう。
そんなことですから、その会社に5年、10年いたところで、得られる給料もたかが知れています。出世にかかる時間と労力を考えると、見返りがなさすぎるのです。
今、多くの若者がそこに気づきつつあります。
出世に時間を使うより、自分で何かやることに時間を使ったほうがいいと考えているのです。もちろん私は、その考えは正しいと思っています。
最近、日本企業では、新人が3年で辞めることが問題視されているようです。ですが、それはその会社に居続けることにメリットはないと判断されたからなのです。
会社側もそのことに気づかなければなりません。優秀な若者に居続けて欲しかったら、それだけのメリットを与えないといけないのです。
これまでは、会社が個人を引っ張っていく時代でした。これからは、個人が会社を引っ張っていく時代になります。
自分でレールが敷ける個人は、会社から一方的に「これをやれ!」と指示される仕事を嫌がります。
今までの会社組織では、そうした人材は扱いづらいと敬遠されていましたが、本来そういう人材の方が発想力も豊かで実力もあるのです。
企業としては、そのようなクセはあっても能力のある人材を使えるように変わっていく必要があるでしょう。個人も個人で、他人の敷いたレールに乗るだけでなく、自分でもレールを敷ける人間に変わっていく必要があります。
自分の人生は自分で決める。これからの時代には、そのような人材が求められていくのです。