感情を封印すると行動力がなくなる

日本の社会では、感情をあまり表に出すことは良くないことだと言われます。

社会に出て何年もすると、多くの人たちが次第に感情をなくしていきます。若いころは感情が豊かだった人も、だんだんと無表情になっていき、つまらなくなっていくのです。

そして、それが一人前の大人なんだと考えています。それは本当に正しいことなのでしょうか?

感情は行動の原動力

今、現代人の多くが、自分の思ったことを行動に移せなくなっているように感じます。口ばかりで実際の行動に移せないのです。これはなぜでしょうか?

私は、感情を失っているからだと考えています。

感情というのは、爆発的なエネルギーを持ちます。怒りや嫉妬、悲しみといった負の感情、喜びや楽しみの感情、それらの感情が大きくなったとき、人は行動を起こします。

その中には、良い行動もあれば、悪い行動もあります。感情にまかせた衝動的な行動もあるでしょう。

悪い行動や衝動的な行動は、人を不快にさせ、恐れさせます。だからこそ、感情をあまり表に出すのはよくないと言われているのです。

その結果、多くの人たちが良い感情も悪い感情も含め、すべての感情を抑えるようになってしまいました。しかし、感情を抑えることで、行動力も同時に失ってしまったのです。

感情コントロールの難しさ

一般的には、怒りや悲しみの感情はあまり良く思われないことが多いでしょう。

しかし、怒りなど悪いと思われている感情でも、状況によっては良い結果をもたらすことがあります。逆に、喜びなどの良い感情であっても、状況によっては悪い結果をもたらすこともあるのです。

これが感情コントロールの難しいところです。

感情を出すべき状況の判断、感情が暴走しないためのコントロール。感情をうまく使うには、この2つの要素が必要なのです。

ところが、日本のサラリーマンの中には、その状況判断ができる人があまりいません。これまで同じ会社に長く居続けた人などは、人生経験が乏しくなり、自分の業務以外の判断力が育たないのです。

また、日本の会社組織では、感情を抑えるだけでなく、感情を偽ることもよくあります。上司にたいするお世辞や愛想笑いなどがそうです。

そのような生活を長年に渡って続けていれば、自分本来の感情を忘れるのは当然です。酷い人になると、感情の出し方すら忘れてしまうこともあります。

感情の出し方がわからなければ、当然、行動力も生まれなくなります。

感情は小出しにして使い方を覚える

たまに感情が爆発した人が問題を起こすことがあります。

ずっと我慢ばかりしていた人が、あるとき我慢できなくなり事件を起こす。会社でも、怒りが爆発して暴力沙汰になる。日本では比較的少ないようですが、そういったことが、まれにあります。

こうした問題を起こす人たちは、普段は感情を表に出さない人がほとんどです。

感情を抑えてばかりいるから、感情が爆発したとき抑えがきかなくなるのです。まるで決壊したダムのように、すべての水がなくなるまで怒りが止むことがありません。これは非常に危険なことです。

人間の我慢には限界があります。我慢の限界値は、個人差がありますが、誰にでも確実に限界は存在するのです。

とくに、悪い感情ほど自分の中に蓄積されていくので、たまには小出しにして貯めないようにしなければなりません。それができないと、あるとき衝動的な行動に走って事件になったり、心が壊れて病気になったりします。

悪い感情であれば、不満や愚痴を言い合える仲間と一緒に発散するのも一つの手です。昔から、飲み屋でサラリーマンが上司や会社の愚痴を言っている場面を目にしますが、あれも一つのストレス解消法なので悪いことではないのです。

怒りの感情でも、不満や文句を口にするくらいなら、まだ許されることが多いはずです。激怒して、収集がつかなくなるよりは遙かにマシでしょう。

悪い感情も小出しにすると、それほど大事にはなりません。周囲の反応も見ることができます。

自分が感情を出したとき、周囲がどんな反応をしていたのか覚えておきましょう。感情が大きければ大きいほど、周囲の反応も大きくなることがわかるはずです。そしてだんだん、感情を出したとき周囲の反応が予測できるようになってくるのです。

相手の反応が予測できれば、いつどんなタイミングで自分の感情を出せばいいのかわかるようになります。それがすなわち感情のコントロールです。

必要なとき、必要な感情が出せる人は、感情に流されることがなくなります。自分が行動したいときに、感情をコントロールして行動力を呼び起こすことができるようになるのです。

感情コントロールは、人生のあらゆる場面で役立ちます。

日本の会社では、悪い感情を出すと問題児扱いさることもありますが、そういう人のほうが、最終的には人生がうまくいっているように思います。

結局は、何事も使い方しだいなのです。