知識は結局経験にかなわない

「頭のいい人は知識が豊富」と一般的にはいわれています。

たしかに、それは一理あるのですが、その人が持っている知識の性質を考えないと本質を見誤ってしまいます。

多くの人は、教科書的な知識を知っているだけで「あの人は頭がいい」と判断してしまいます。私も若い頃は、そう思っていました。

しかし、人生経験を重ねていくにつれ、そうではないことに気づいたのです。

知識と経験の違い

世間一般でいわれる知識とは、たくさんの本や論文を読んで、その中身を知っていることです。いわゆる物知りと呼ばれるタイプです。

これは、本や論文をたくさん読めば誰でも一定のレベルには到達できます。秀才タイプと言ってもいいでしょう。

反対に、経験豊富な人というのも、同様にたくさんの知識があります。

しかし、勉強して多くの知識を獲得した人と、経験豊富な人が持っている知識には、その独自性や実効性に明らかな違いがあります。

本や論文で勉強できることは、あくまで他人の経験や考え方です。実際に自分で体験していないため、独自性や実行性にはどうしても乏しくなってしまうのです。

その差を一言でいうなら、情報量の差ということになるでしょう。

たとえば、日本では知られた広辞苑という分厚い辞典があります。広辞苑の文字数は1500万字といわれていますが、その文字情報をデータ容量に換算すると、数百メガ程度しかありません。

私が以前持っていた、広辞苑第五版のDVDのデータ容量は897MBくらいでした。あれだけの内容で、実際には1ギガもないのです。

ところが、音声データや動画データであれば、たかだか数分でも1ギガを超えてしまいます。文字情報と音声や動画情報では、それだけの違いがあるのです。

これは私たち人間にも当てはまります。

たとえば、本を読んで文字情報を記憶することと、実際に経験してみたこと。これら2つを比べれば、どちらが情報量が多いのか考えるまでもないでしょう。

つまり、一般的にいわれる知識と経験には、情報量の観点から大きな違いがあるということです。

本当に役立つ知識とは知恵のこと

とはいえ、経験豊富な人が知っていることも、他人からすれば知識です。実際に自分が経験していないのですから、経験を聞いただけではモノにすることはできません。

自分が見聞きした話を実行できるようになるには、どうしても自ら経験してみる必要があるのです。

実際に自分で経験して、その知識ははじめて実行性を持った知恵となるのです。

日本の社会では、いまだに学校でも会社でも、知っていることが重要だと考えている人が少なくありません。ですが、それは受験勉強の世界であり、情報が少なかった前時代の常識なのです。

今や、誰でも膨大な情報にアクセスできる時代になりました。そのような時代には、知ることだけなら誰でもできるのです。

私が若いころ、「知識はあっても知恵がない」という言葉を聞いたことがあります。これは、いい大学を出ているのに仕事がまったくできない人を揶揄した言葉です。

もちろん、周囲のやっかみもあったと思いますが、物知りでも実行できない人が本当にいたことも私は知っています。

そのような人たちは、知ってはいるけれども、その知識を現実世界で活かすことができません。

実際に、自分で試した経験が少ないから、具体的な実行案に落とすことができないのです。知識とは、具体的な実行案に落とすことができて、初めて知恵となるのです。

経験があればいいというわけでもない

かといって、ただ経験があればいいというものでもないのが、人間社会の難しいところです。たんに経験があればいいというのなら、歳をとれば誰でも優れた能力があるはずだからです。

ところが実際には、歳をとっても大した能力のない人たちは大勢います。彼らは長く生きて、経験があるにもかかわらず、あまり知恵がありません。

歳をとっても知恵がない人、歳をとることで知恵が増えていく人の違いとはなんなのか?

それは、自分の意思で行動してきたかどうかの違いです。人間という生き物は、人から言われて行動しても、大した情報は得られないのです。

他人から言われて行動すると、責任もありません。責任がなければ、真剣にもなれませんから、結果として得られる情報量も少なくなるのです。

翻って、自分の意思と責任で行動する人は、同じ行動をしても多くの情報を得ることができます。

自分の意思で行動するということは、少なからずその内容に興味があるということです。興味があれば、興味がない人より細かい部分にも気づくようになります。

それはつまり、興味のない人より多くの情報を得られるということです。

また、自分に責任があれば、物事に慎重になります。慎重になるということは、物事に当たって様々なリスクや損失に思いを巡らせることになります。

その思考習慣が、あなたにさらなる情報をもたらすのです。

これが責任感のない人であれば、リスクや損失など考えず、ただ言われたことをやるだけになるでしょう。何も考えず、言われたことをやるだけでは思考も活発にはなりません。

「人生には主体性が必要」とよくいわれますが、それは主体性があるからこそ、多くの情報が得られるということでもあるのです。

知識と経験の差とは、とどのつまり情報量の差。その情報量の差を考えて、人生を送っていくことがこれからの時代には重要になってくるのです。